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NIKE文化遺産シリーズ AF1誕生とその裏側

“AF1 “それは史上最も
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Keroro.Shinken

NIKE文化遺産シリーズ AF1誕生とその裏側

“AF1 “それは史上最も売れたスニーカーで今現在も尚、トップに君臨するモデルです。

そしてそのモデルは40年以上前のもので、過去 35年以上にわたってほとんど形状が変わっておらず、白と黒の単色カラーは世界中で愛され、最もよく知られています。

80 年代にはエアを初搭載したバスケットボールシューズとして技術革命を起こし、90 年代から2000年代にかけて音楽やファッションカルチャーで文化革命を起こし、そして歴史に刻む”レトロシューズ”の概念を生み出しました。

その伝説的シューズを生み出したのが、プロダクト デザイナーであるブルース キルゴアです。

話は遡り1970年代初頭、彼はブランド初の従業員であるジェフ・ジョンソンとチームを組み、トラック用スパイクを完成させるという任務を与えられました。

ビル・バウワーマンによる足のX線写真と陸上競技選手のパフォーマンスの綿密な分析をもとに、キルゴアとジョンソンはズームシリーズのスパイクを開発し、1984年にはオリンピックでカール・ルイスを4つの金メダルに導く事に貢献しました。

その後、キルゴアはバスケットボールの分野に移り、ソールにエアユニットを搭載した史上初のバスケットボールシューズの設計を任されました。

ナイキ テイルウィンドは 1979 年にエア ソールを採用し、リリース後すぐさま大ヒットを記録しましたが、バスケットボールシューズはadidasやconverseが市場を独占し、予算を多くとる事もできずエアユニットをバスケットボールシューズに組み込むという前代未聞の挑戦に動きは停滞していました。

そして難航を極めた NIKEは当初の担当デザイナーからプロジェクトをキルゴアに託しました。

最初のプロトタイプは皆様もご存知であろうUNITYとして復刻したモデルです。

それを目にしたキルゴアは、”ミシュランマンに似ている”と酷評し、そのサイドウォールは、バスケットボールをプレイできるものではありませんでした。

そして、この出来損ないの無名のシューズは、よりシンプルな構造へと変化していきました。

初期の製造上のいくつかの失敗の後、キルゴアは見事プロトタイプの図面を完成させ、スペインの金型メーカーを通じて、色とりどりのミッドソールとカップソールの作り方を教えてもらいました。

その後キルゴアはナイキDCEC 委員会からの助言もあり1981年に見事シューズを完成させ、誕生したプロトタイプにエア フォース 1 と命名しました。

それは80 年代のバスケットボール スニーカーに関しては、ある種の技術的驚異でした。

キルゴアは、ナイキのアプローチ ハイキング ブーツにインスピレーションを得て、エア フォース 1 の上部のカットを前から後ろに傾けることで、従来のハイトップシューズと同じサポートを提供しながら、さらなる柔軟性を提供しました。

完成したエア フォース 1 は、最初に米国で製造されたナイキ初のスリップラストシューズであり、カップソールを備えた最初のバスケットボール シューズの 1 つで、これまでで最も耐久性のあるシューズの 1 つとなっています。

キルゴアはバスケットボールを念頭に置いて設計された円形のアウトソールトレッドも開発しました。


チャック テイラー (および他のほぼすべてのスニーカー) に見られる遍在するヘリンボーン パターンと比較して、キルゴアの新しいアウトソールはプレーヤーに「ピボット ポイント」を与え、ポストでの動きをより容易にしました。

それは当時としては革命的でした。


その後エクセターにあるイノベーションラボ(現在のイノベーションキッチン)で10足のウェアテストサンプルが製造されサンプルは、キルゴア自身によって本社にいたテスターと数名の大学選手たちに届けられました。

その幸運な着用テスターの中の1 人がティンカー ハットフィールドです。

多くのフィードバックを得る事に成功したキルゴアのシューズは複数回に渡る仕様変更の後、メッシュのtoeboxから一枚皮レザーのtoeboxへと生まれ変わりました。

そして初の市場投入バージョン(AF1 ZERO)は 1982 年に導入され取り外し可能な固有受容器ベルト (有名なアンクルストラップ) とメッシュのサイドパネルを備え、白とニュートラルグレーの配色でアメリカ中の人々を魅了し、その数ヶ月後にはマイナーチェンジをが施され今現在により近いAF1が誕生しました。

様々な分野で歴史的快挙を得たAF1,。


このAF1 がなければ、今現在のようなスポーツシーンやファッション、カルチャー、全てが大きく異なっていたでしょう。
そしてキルゴアのみならず、ティンカーハットフィールドも今日のようなシューズの達人にならなかった可能性は十分にあります。

そしてこのAF1がきっかハットフィールド自身もその靴の性能に感銘を受け、靴のデザインに興味を持ちデザイナーに転身
この最初のプロトタイプの後に廃止された機能の 1 つである、フットベッドにスチール シャンクを組み込むシステム


これが1995 年にジョーダン 11 に搭載されたカーボンファイバー プレートにインスピレーションを与えるきっかけになりました。

現在ではパフォーマンススニーカーのほぼどこにでも普及しているテクノロジーがこのオリジナルのAF1がきっかけで誕生。
まさしく我々 NIKEファンにとって全ての始まりと言えるシューズとも言え、そのプロトタイプとストーリーは後世に語り継ぐ文化遺産そのもと言えるでしょう。

1982 prototype (1981 Air Force 1)

生産足数 10足前後

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2023/05/26

ナイキ エアフォース1 ロー レトロ カラー オブ ザ マンス "ホワイト"

ナイキ エアフォース1 ロー レトロ カラー オブ ザ マンス "ホワイト"

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