シャネルの歴代デザイナーを一挙紹介!【コラム】について
世界的ブランドであり、揺るぎない地位を築いているCHANEL(シャネル)。今や世界的に有名なブランドといえます。しかし、有名な商品は知っていても、それらを生み出したデザイナーについてはあまり詳しくない、という人も珍しくありません。
この記事では、シャネルの創業者である「ガブリエル・ボヌール・シャネル」をはじめ、3人のデザイナーを紹介します。シャネルの歴史や代表作、デザイナーそれぞれの特徴を知り、シャネルについての知識を深めてください。
創立者・初代デザイナー「ガブリエル・ボヌール・シャネル」
「ココ・シャネル」の愛称で知られる、「ガブリエル・ボヌール・シャネル」。1883年にフランスで生まれ、孤児院で育ちました。当時は産業革命により近代化が進んだ時代で、彼女は孤児院を出た後お針子として働き始めます。
当時の女性の服装といえば、リボンやレースがついたドレスを着てコルセットを締め、飾り立てた帽子を被ることが主流でした。そんななかシャネルは、メンズライクな服装を好んで着ていました。その服装に合うシンプルでシックな帽子を作ったところ好評を受け、周囲の女性から注文が入るように。そして1909年、パリに帽子店をオープンしました。そう、シャネルは帽子から始まったのです。翌年には、現在のシャネル本社があるカンボン通りに「シャネル・モード」として店を移転しました。
その後洋服や香水なども手がけるようになり、シャネルは次々と女性たちに新しいファッションスタイルを提示していったのです。
デザインの特徴
シャネルが生み出したデザインは、近代生活に適した実用性や機能性に優れているものです。彼女自身、当時の窮屈な女性のファッションに嫌気がさしていました。そこで、それまでは労働着や下着として使われていたセーターや男性の下着素材であったジャージ素材をデイリーファッションに取り入れたり、フォルムをメンズライクでラフにしたり。レディースファッション界に革命を起こしました。
当時の常識からするとかなり斬新だったため人々は驚きましたが、戦争が始まったことでそれまで使用されてきたシルクやサテンなどの素材の入手が困難になったこともあり、次第に受け入れられていきました。
シャネルが生み出したのは、「古い価値観にとらわれない自由で自立した女性像」をコンセプトに、働く女性にも適した、斬新で魅力に溢れた、気品のあるデザインです。
代表作
ファッション界に革命を起こしていったシャネル。そんなシャネルが生み出した作品には、どのようなものがあるのでしょうか。ここからは、具体的な代表作を紹介していきます。
ジャージー素材
1913年、初めてのジャージーのコレクションを発表。これは、ファッション界の歴史に残る名作となりました。
当時、ジャージー素材は男性用下着の素材として用いられており、ファッションに取り入れたのはシャネルが初めてでした。厚手のタイプを使用し、女性用のスーツやブラウス、ドレスを作りました。
また、生地素材だけでなくカット方法やシルエットにもこだわり、それまでの窮屈なファッションから女性たちを解放。ラフでゆったりとした着心地で、大きなポケットがつけられるなど実用性にも優れていたため、最初は衝撃を受けた人々にも次第に受け入れられるようになりました。
パンツスタイル
第一次世界大戦が始まって、男性が戦争に行く代わりに女性が社会に出て仕事をするようになりました。それをきっかけに、男性用ズボンを作業着として履く人が増加。シャネルは元々パンツスタイルを好んでいましたが、この状況を見て女性用のオシャレなパンツスタイルを提案しました。
このスタイルは大きな賛同を呼び、たちまち流行に。しかし、機能性というよりはファッションとして人気が出たことに、シャネルは「慎みを持って女性のパンツスタイルを提案したが、履きやすさを理由にディナーの場にまでパンツで来るようになってしまった。それはとても寂しい」というような言葉を残しています。
リトル・ブラック・ドレス
現在では、女性の魅力を引き出すドレスとして主流になったリトル・ブラック・ドレス。このドレスを生んだのが、シャネルです。黒一色で装飾の少ないデザインで、汚れが目立たずアクセサリーによって雰囲気に変化をつけられるのが特徴です。
元々シャネルは自分自身も好んで黒の服を着ていました。当時オシャレなのは鮮やかな色だというのが主流でしたが、黒は人の個性を引き立たせるシンプルでモードな色だと考えたのです。
ヴィクトリア時代には黒一色の服は喪服とされていましたが、シャネルの発表以来、たちまち定番となっていきました。今では欧米で「女性の必需品」とされています。
シャネル・スーツ
シャネル・スーツは、当時まで男性用とされていたスコットランド産のツイード素材を取り入れたスーツです。1923年にパリのサロンで行われたコレクションで発表され、機能的で動きやすいシャネル・スーツは注目を集めました。
第二次世界大戦が始まってシャネルはスイスに移住しますが、1954年に復帰。そしてスーツに改良を加え、現在のシャネル・スーツが出来上がりました。襟なしのボックス型ジャケットや金色のブランドロゴ入りボタン、スリムな膝丈スカート、ラインが美しく見えるように縫い込まれたチェーンなどが特徴です。
まずアメリカで流行し「オードリー・ヘップバーン」、「グレース・ケリー」、ケネディ大統領夫人の「ジャックリーン・ケネディ」といったセレブたちに愛用されていました。
シャネルはデザインを真似されることに寛容だったため、その後世界中でコピー商品が作られるようになりました。本物と見分ける方法についての解説があるので、実際に購入する際には参考にしてみてください。
バイカラーパンプス
バイカラーパンプスは、1957年に発表されました。当時、女性の靴としては単色が主流とされていたところを、シャネルは男性用のバイカラーアイテムから着想を得て、バイカラーパンプスを誕生させました。
肌に馴染むのでスタイルがよく見え、トゥの部分を黒にすることですり減りが目立たないような工夫もされています。スクエアヒールは安定して歩きやすく、活動的な女性たちから多くの支持を得る名品となりました。
No.5
1921年、世界で初めて人工合成香料を使用した香水として誕生したNo.5。シャネルが調香師「エルネスト・ボー」に依頼し、「女性の為の、女性の香りを作りたい」という思いから作られました。試作品のサンプルの5番目だったことがこの名前の由来です。
80種類以上の材料で調合してあり、ある特定の単一な花ではなく、新しくどこかミステリアスな香りになっています。また、新しかったのは香りだけではなく、そのボトルデザインもでした。当時は小瓶に装飾をつけたものが一般的でしたが、No.5は透明で直線的。名前からは香りのイメージを何も伝えない、そして使用するのは文字だけと、装飾を削ぎ落としたデザインです。
そんなNo.5は、「マリリン・モンロー」が愛用していたため一気に知れ渡ったとして有名です。現在でもその人気は衰えず、多くの女性から支持を得ています。
ショルダーバッグ
いまでは多くの女性が当たり前のように使っているショルダーバッグですが、実はこれもシャネルが広めたと言われています。
1920年代に女性が持っていたバッグは、クラッチバッグやハンドバッグなど、手が塞がるものが主でした。シャネルはそれを煩わしく感じており、ショルダーストラップがついた、両手を自由に使える女性用ショルダーバッグを世界で初めて発表しました。1929年のことでした。
そして1955年2月には、後に伝説と言われる「2.55」を発表。シンプルで機能的、そして優れた耐久性のチェーンが特徴的で、人気を博しました。名前は、発表年月の名前から名付けられました。
1983年に再度「2.55」は再解釈され、今ではシャネルを代表とする定番のバッグとして不動の位置を築いています。
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ツイード
ツイード生地は、シャネル・スーツをはじめとするジャケットやバッグ、靴などに使用されている素材です。
1912年創業のイギリスの会社リントン社が製造したツイード生地は、シャネルの製品に使用されていることから「シャネルツイード」と呼ばれます。ファンシーツイード(カラフルな糸や装飾的な糸を織り込んだもの)の通称です。美しいだけでなく奥行きを感じられる、表現力に溢れたデザインは、シャネルを虜にしました。
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リップスティック
現在では主流のリップスティック。この形を生み出したのもシャネルです。「外出先でもいつでも簡単に、手を汚すことなく口紅を塗り直せないか」というような要望に応えたアイテムとして誕生しました。
このように、現在では普通だと思えるような物をシャネルはいくつも発表し、ファッション界の発展に大きく貢献したのです。
いまでは、高級ブランドながら手に入れやすい価格なのも相まって、大人気のアイテムです。中でも人気なのは、ルージュ ココ。潤いを保ってくれ、発色が美しいのが特徴です。
2代目・モードの帝王「カール・ラガーフェルド」
「カール・ラガーフェルド」は、ファッション業界でモードの帝王と呼ばれています。彼のデザインの特徴は、革新的な斬新さ。時代に見合った最先端なデザインは、世の中の多くの女性たちの支持を得ました。「ガブリエル・シャネル」はスカートの丈を膝下としていましたが、彼はミニスカートを発表。ツイードジャケットにミニスカートを合わせるなど、それまであったスタイルをアップデートする形を提案し、若い女性からの人気を高めました。
ショルダーバッグ「2.55」は1983年に再解釈し発表されたと紹介しましたが、それを手掛けたのも彼です。「11.12 クラシック・チェーンバッグ」としてアップデートされた「2.55」は、一目でシャネルのものだとわかるようなデザインで、発売後すぐに大人気アイテムとなりました。
そのようにして「カール・ラガーフェルド」は、70年以上にも渡りファッション業界の流行の最先端を歩き続けました。ファッション業界に彼が与えた影響は計り知れません。
低迷するシャネルを復活させた
創設者であり初代デザイナーの「ガブリエル・ボヌール・シャネル」の死後、シャネルは低迷していました。そこから再構築し、ブランドとしての地位を揺るぎないものにしたのは、「カール・ラガーフェルド」です。さまざまなブランドで活躍したカールですが、最大の功績はやはりシャネルだと言えるでしょう。
シャネルが生み出したものを時代に合わせてアップデートしていったことで、90年代には王道ブランドとしての人気を不動のものとしたのです。引き継ぐことと新しく革命を起こすこと、そのバランスが彼ならではのデザインの強さでした。
多くのブランドのデザインを手掛ける
「カール・ラガーフェルド」はシャネルを復活させたことが印象的ですが、シャネルだけではなく多くのブランドを手掛けていました。Chloe(クロエ)やFENDI(フェンディ)のデザインを担当し、自身のブランド「Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)」の立ち上げも行いました。
また、2004年には「Karl Lagerfeld for H&M」としてH&M(エイチアンドエム)とコラボレーションし、大きな話題を呼びました。さらに、靴を中心としたブランドであるレペットともコラボ。フラット・サンダルとプラットフォーム・ヒールを製作しました。
このように数多くのブランドに関わって活躍していた「カール・ラガーフェルド」は、2019年2月に85歳でこの世を去るまで現役、まさに生きるレジェンドでした。
3代目「ヴィルジニー・ヴィアール」
2019年2月に「カール・ラガーフェルド」からバトンを受け継いだ、「ヴィルジニー・ヴィアール」。近年はすでに高い地位を持ってトップに立っているデザイナーを外部から呼ぶのが一般的ですが、彼女は内部昇格でブランドディレクターに就任しました。1987年に「カール・ラガーフェルド」と出会い、最初はインターンとして活動を始めました。次第に「カール」に欠かせない人物となっていき、「カール」がクロエに復帰すると共に移籍し、また「カール」からシャネルに呼び戻されると、再びシャネルで活躍。そのように、長い時間を「カール」と共に歩みました。
「カール」の急逝後に彼女が後任として抜擢されたことは、世界中でニュースになりました。女性ディレクターは、「ガブリエル・ボヌール・シャネル」以来ということもあり、現在も注目を集めています。
まとめ
シャネルの歴史や3人のデザイナーについて、詳しく解説してきました。ブランドを生み出した「ガブリエル・ボヌール・シャネル」、時代に合わせてアップデートを続けた「カール・ラガーフェルド」、そして、「カール」から意志を受け継いだ「ヴィルジニー・ヴィアール」。3人それぞれに特徴があり、ブランドの魅力をよりいっそう引き立てます。3代目の「ヴィルジニー・ヴィアール」がこれからどんなアイテムを発表してくれるのか、どのような革命を起こしていくのか、楽しみですね。