エルメスの歴史や歴代デザイナーから人気の秘密を紐解く【コラム】について
世界的ラグジュアリーブランドのHERMES(エルメス)は、バーキンやケリーなど、女性が憧れるアイコニックなアイテムを数多く展開しています。今回はブランドの歴史や裏側に迫り、エルメスの人気の秘密を紐解いてみましょう。この記事では、エルメスの歴史や歴代デザイナーなどについて詳しく紹介します。
- ▼HERMES(エルメス)の創立から現在までの歴史
- ▼HERMES(エルメス)の歴代デザイナー
- ▼HERMES(エルメス)一家
- ▼Eric Bergere(エリック・ベルジェール)
- ▼Claude Brouet(クロード・ブルエ)
- ▼Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)
- ▼Jean Paul Gaultier(ジャン・ポール・ゴルチエ)
- ▼Christophe Lemaire(クリストフ・ルメール)
- ▼Nadege Vanhee Cybulski(ナデージュ・ヴァネ・シビュルスキー)
- ▼Veronique Nichanian(ヴェロニク・ニシャニアン)
- ▼日本人デザイナーの寺西俊輔も活躍していた
- ▼まとめ
HERMES(エルメス)の創立から現在までの歴史

1837年:ティエリ・エルメスが高級馬具工房を創業
エルメスの歴史は、1837年に「ティエリ・エルメス」が小さな馬具工房を開いたことから始まりました。場所はパリ1区のマドレーヌ寺院界隈にあるバス・デュ・ランパール通りです。当時から時代の最先端を走っていたパリでは、常に顧客が洗練された製品を求めていました。「ティエリ・エルメス」はそうしたニーズを細やかにくみ取り、13歳から磨いてきた技術力で人にも馬にも優しい頑丈な馬具を提供します。馬車は上流階級のステータスシンボルであり、高貴な人々から人気を得てエルメスは名前を上げていきました。
1867年:パリ万博(第二回万博博覧会)で受賞
1867年に開催されたパリ万博では、エルメスの並外れた技術力が認められ馬具部門で銀賞を受賞します。1880年になり、2代目の「シャルル=エミール・エルメス」が店舗をフォーブル・サントノーレ通り24番地へ移転しました。フォーブル・サントノーレ通りは名だたるメゾンが立ち並ぶ通りとして知られており、エルメスは現在も同じ場所に店舗を構えています。
新天地でエルメスはオーダーメイドの馬具製造を開始しました。顧客の要望を聞いたうえで作られる精巧な馬具は評判を呼び、エルメスの名はさらに各地へ広まっていきます。
1890年頃:ファッション業界へ参入
店舗を移して10年ほど経った頃、エルメスに大きな転機が訪れます。1892年、エルメス初のバッグである「オータクロア」を発表したのです。もともとは馬鞍やブーツをしまうために開発されたバッグで、優雅で実用的なデザインは大変な人気を集めました。このオータクロアは、バーキンやケリーといったエルメスを代表するバッグの原型となっています。20世紀に突入し、馬車が自動車に取って代わられることを見越していた3代目の「エミール・エルメス」は事業の多様化を決意します。馬具だけでなく女性用の財布やバッグなどを扱うようになり、現在のエルメスの礎を築きはじめるのです。1920年にはエルメスファスナーの特許を取得し、1923年にファスナー式バッグ「ブガッティ」を発表します。その後もメンズウェアや腕時計などを続々と打ち出し、ファッション性の高い高級ブランドとしての地位を確立していきます。
1950年代〜2000年代:カレ・エルメスやバーキンなどの代表作が誕生
1951年、「エミール・エルメス」の娘と結婚していた「ロベール・デュマ」がエルメスの代表となります。デュマは正方形のシルクスカーフ「カレ・エルメス」に注力し、シルクスクリーン技術を活かした美しい発色によって、カレをエルメスの象徴的アイテムへと押し上げました。1956年にはケリーが誕生し、エルメスの新たな顔となります。ケリーはもともと「サック・ア・クロア」という1930年代に開発されたバッグでしたが、ハリウッド女優で後にモナコ公妃となったグレース・ケリーが愛用していたことから、正式に「ケリー」と名付けられました。
約30年後、1984年にはバーキンが生まれました。これは、「ロベール・デュマ」の息子である「ジャン=ルイ・デュマ」と、イギリス出身の女優・歌手「ジェーン・バーキン」が飛行機で偶然出会ったことがきっかけとなっています。
2001年:東京・銀座にメゾンエルメスがオープン
2000年頃から、「ジャン=ルイ・デュマ」の立てた方針に基づいてエルメスは世界展開を進めていきます。2000年にはニューヨークのマディソン・アベニューに、2001年には東京の銀座に、地域の文化を取り入れたデザインの店舗をオープンしています。建築家のレンゾ・ピアノが手がけた銀座メゾンエルメスの特徴は、ガラスブロックを全面に取り入れた宝石箱のような外観です。エレガンスと遊び心を漂わせて銀座の一角に存在感を示しています。
HERMES(エルメス)の歴代デザイナー
エルメスの創設以来、名だたるデザイナーがブランドの伝統と革新を支えてきました。ここからは、エルメスのレディース・メンズのプレタポルテを担当してきた歴代デザイナーを紹介します。エルメス一家
エルメスでは、創業した1837年から1980年まで、エルメス一家の人々がデザイナーを務めてきました。創業者の「ティエリ・エルメス」や、事業を多方面に展開した2代目の「シャルル・エルメス」などが、自分たちのアイデアでブランドを牽引してきたのです。そうした中で、バーキンの原型となるオータクロアをはじめとした数多くの名作モデルが誕生しました。4代目社長の「ロベール・デュマ」も、錨のチェーンをモチーフとしたブレスレット「シェーヌダンクル」や、気品漂う香水「カレーシュ」などの誕生に関わっています。
Eric Bergere(エリック・ベルジェール)
「エリック・ベルジェール」は、エルメス一家以外で初めてレディース・クリエイティブ・ディレクターに就任したデザイナーです。1960年にフランスのトロワで生まれ、1980年に服飾の専門学校「エスモード・パリ」を卒業してエルメスでの活動を始めました。エルメスにおける就任期間は1981~1989年で、レディースのプレタポルテで 約8年間にわたって活躍しました。エルメスのディレクターを退任した後はランバンのデザイナーや、1995年には自身の名を冠したブランドを立ち上げています。
2003年に自身のブランドを終了した後もシリリュスのデザイナーに就任するなどして、ファッション業界で活躍しました。
Claude Brouet(クロード・ブルエ)
「エリック・ベルジェール」が退任した後、1989年にエルメスのレディース・クリエイティブ・ディレクターを継いだのが「クロード・ブルエ」です。「クロード・ブルエ」はフランスの有名なファッション雑誌「マリ・クレール」の編集長を務めていた人物で、1997年までエルメスのレディースプレタポルテを牽引しました。8年間にわたって、持ち前のセンスで幅広いアイテムを手がけたことが知られています。
Martin Margiela(マルタン・マルジェラ)
「クロード・ブルエ」の後を継ぎ、1998年にエルメスのデザイナーに就任したのが「マルタン・マルジェラ」です。エルメスの歴代デザイナーのなかでも特に高い人気を誇り、「マルタン・マルジェラ」就任時のエルメスは一般に「マルジェラ期」と呼ばれています。「マルタン・マルジェラ」は1957年にベルギーで生まれました。アントワープ王立芸術アカデミーを卒業した後、「ジャン・ポール・ゴルチエ」に師事し、1988年には自身のブランドである「メゾン・マルタン・マルジェラ」を立ち上げています。
エルメスにおけるデザイナー就任期間は1998~2003年で、胸元を深く切り込んだトップス「ヴァルーズ」や、二重巻きのブレスレット「ドゥブルトゥール」など、現在も高い人気を誇るアイテムを数多く輩出しました。エルメスならではの見事なレザー使いや、Hボタンのような個性的なディテールも人気の理由です。
マルジェラが打ち出した独創的かつ普遍的な世界観は、ファッション業界に大きな影響を与えました。
Jean Paul Gaultier(ジャン・ポール・ゴルチエ)
「マルタン・マルジェラ」の退任後、「ジャン・ポール・ゴルチエ」がエルメスのレディース・クリエイティブ・ディレクターに就任しました。就任期間は2004~2010年で、エレガントな印象が強いエルメスにアバンギャルドな精神を吹き込んで話題を呼びました。代表作としては、細長いフォルムが特徴的な腕時計「ケリー2」などが挙げられます。1952年にパリで生まれた「ジャン・ポール・ゴルチエ」は独学でファッションを学び、18歳のときにピエール・カルダンのメゾンに入ります。1978年には自身のブランドを立ち上げ、パンキッシュなスタイルで80年代のシーンを牽引しました。
Christophe Lemaire(クリストフ・ルメール)
「ジャン・ポール・ゴルチエ」の後を継いでディレクターに就任したのが「クリストフ・ルメール」です。「クリストフ・ルメール」は1965年にフランスのブザンソンで生まれ、美術学校「アトリエ・セーブル」を卒業してからイブ・サンローランなどで経験を積みました。1990年には自身のブランドを立ち上げ、機能性とファッション性を兼ね備えたアイテムを打ち出して地位を確立します。その後、2002年にラコステのアーティスティック・ディレクターに就任して人気を復活させるなど、幅広い場で活躍しています。
エルメスにおける就任期間は2010~2015年頃で、エルメスの伝統的な精神を理解したうえで機能美を備えたスタイルを提示し、業界でも高く評価されました。2015年からはユニクロとのパートナーシップでコレクションを展開しており、日本における知名度も高まっています。
Nadege Vanhee Cybulski(ナデージュ・ヴァネ・シビュルスキー)
「クリストフ・ルメール」に次いで、2015年の秋冬コレクションからは「ナデージュ・ヴァネ・シビュルスキー」がレディース・クリエイティブ・ディレクターを務めています。1981年にフランスで生まれ、アントワープ王立芸術アカデミーを卒業した彼女は、メゾン・マルタン・マルジェラやセリーヌでデザイナーとしての経験を積んできました。
エルメスのディレクターに就任してからは、メゾンの精神を尊重しながら、ミニマルかつ繊細なデザインを提示してファッショニスタの支持を集めています。「ナデージュ・ヴァネ・シビュルスキー」は2022年現在もエルメスのレディースプレタポルテを統括しています。
Veronique Nichanian(ヴェロニク・ニシャニアン)
エルメスでは名だたるデザイナーがレディース・クリエイティブ・ディレクターを歴任してきましたが、メンズ部門のディレクションは1988年から一貫して「ヴェロニク・ニシャニアン」が担当しています。「ヴェロニク・ニシャニアン」はフランスで生まれ、パリ・オートクチュール専門学校を卒業しました。そしてイタリアのファッションブランド「セルッティ」で経験を積んだ後、1988年にエルメスのメンズラインのディレクターに任命されました。
30年以上にわたってメンズプレタポルテのディレクションを行ってきた彼女は、まさしくエルメスのイメージを支える人物といえます。彼女の生み出す服はミニマルで洗練されており、1シーズンで終わらない普遍性を備えているのが魅力です。
日本人デザイナーの寺西俊輔も活躍していた
エルメスのレディース部門では、日本人デザイナーの「寺西俊輔」が活躍していました。寺西俊輔は京都大学工学部建築学科を卒業した後でヨウジヤマモトに入社し、生産管理とパタンナーを担当しました。その後、イタリアに移って「キャロル クリスチャン ポエル」や「アニオナ」といったブランドで技術を磨き、2015年に3Dデザイナーとしてエルメスに入社したのです。エルメスで経験を積んでから2018年に帰国した彼は、着物をテキスタイルとして利用するファッションブランド「アルルナータ」を立ち上げ、古来から伝わる伝統技術の価値を発信しています。
まとめ

フリマアプリ「スニーカーダンク」では、エルメスをはじめとしたハイブランドのアイテムを多数取り扱っています。中古でしか手に入らないエルメスのアイテムを探し、各時代を象徴するデザイナーのエスプリをぜひ感じてみてください。