「XLARGE」とのマッシュアップTシャツは"古いパンクのフライヤー"が着想源? 「SBTG」のデザイナーが語る、コラボへの想いと自身のルーツ

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「XLARGE」とのマッシュアップTシャツは"古いパンクのフライヤー"が着想源? 「SBTG」のデザイナーが語る、コラボへの想いと自身のルーツについて

アメリカ・LA発のストリートブランド「XLARGE」と、シンガポールのブランド「SBTG」のコラボレーションが決定した。なんと今回、そのアイテムを店頭およびWebにて取り扱うHYPE DROPが、SBTGのマーク・ウォン氏(ストリートウェアデザイナー/スニーカーアーティスト)へのインタビューに成功。憧れのブランドだったXLARGEとのコラボにかける想いから自身の作品作りのルーツに至るまで、同氏がその心の内を語ってくれた。

XLARGEとコラボする日が来ることは「分かっていた」

―SBTGとXLARGEを結びつけるものはなんでしょう?そしてこのクロスオーバーを可能にしてコラボレーションを実現させた、両者をつなぐ架け橋とは?

これは本当に面白い話で。2000年頃、僕は友人たちとXLARGEを扱うショップでスタッフとして働いてたんだ。だからコレクションや歴史にはとても詳しいし、個人的にもこのブランドが大好き。一緒にコレクションを作れるなんて光栄だよ。夢が叶ったような気分さ。

―あなたは20年以上もこの仕事を続けていますね。

Y2K(※「2000年」を指す言葉)。そう、Y2Kは僕がブランドを立ち上げる前だったんだ。XLARGEは自分のブランドを立ち上げるという点で、間違いなく僕に多くの影響を与えたよ。

―その時点でシューズのカスタマイズに着手したんですか?

もちろん(着手した)。昔、ヴィンテージのスニーカーをたくさん集めていたんだ。1985年に最初のDunkが出るまで、レトロスニーカーなんてなかった。最初のレトロスニーカーが発売されたとき「あ。これは今使えるし、キャンバスにできる」と思ったんだよね。それで絵を描き始めたんだ。

―それからは、(発展させてきた)歴史ですね。

そうだね。それからは、(発展させてきた)歴史。そして2003年にSBTGを始めたんだ。

―XLARGEとコラボレーションする機会が訪れたとき、その瞬間はあなたにとってどんなものでしたか?

物事はいつも丸く収まるものだ。これまで何度もそうなってきた。うれしい驚きだったけど、それほど「予期せぬ事態に驚く」という感覚はなかったよ。たとえ24年かかったとしても、その日が来ることは分かっていた。

だからとてもいい機会だし、すでにやりたいことは決まっていて。コンセプトを提案して、承認されて、バーン! これ(彼が着ているコレクションの一部を披露)を着てロックするんだ。

カスタムとDIYカルチャーの精神に基づく、両ブランドロゴの組み合わせ

―プロジェクトのアートディレクションはどのように決定したんですか?また、どんなプロセスでこれらのデザインを作成しましたか?

2つのロゴをフィーチャーした、とてもわかりやすいものだった。XLARGEのOGロゴはとても象徴的だ。僕たちはそれを"紋章"として身に着けてたし、それを誇りに思っていたんだよ。

だから自分のブランドを立ち上げたとき、アラビア語のロゴも象徴的なものを作りたかった。つまりそのエッセンスはデザインの方向性と同じようなものなんだ。

この2つを融合させるために、古いパンクのフライヤーからインスピレーションを得たんだよね。それは"身代金メモ"のようなものだ。カスタムとDIYカルチャーの精神に基づいて、そんなアプローチでこれらのロゴをシャツに組み合わせたよ。

―その過程で何か困難はありましたか?それともカタルシス的な体験でしたか?

XLARGEとコラボレーションする機会が訪れたとき、日本のXLARGEチームはシンガポールに来ていたんだけど、そのとき僕はシンガポールにいなかった。

でも、彼ら(日本のXLARGEチーム)はこのスプリットアップ/マッシュアップをコンセプトにした僕のTシャツを1枚買ってくれたんだ。彼らはそれを「とても気に入った」と言ってくれた。「SBTGのロゴとXLARGEのロゴを、こう組み合わせたらどうだろう?」。そして完成したんだ。

「何が一番大変だったか?」と聞かれることが多いけど、大変なことはなかったよ。僕はすべてのプロセスを楽しんだし、このブランドとの歴史が心に響いた。

また、僕の服を作ってくれる良いパートナーがいるんだけど、毎回、デザイン画を描いて彼に送ると僕の希望通りに仕上げてきてくれる。だから苦労は少なく、喜びは多い。

―この時点で、XLARGEは確立されたデザイン言語とアイコノグラフィーを持つ"レガシー・ストリートウェア・ブランド"となっています。このコラボレーションを通じて、ブランドに導入することができた新しい要素は何ですか?また、XLARGEを新しいオーディエンスに紹介するのに役立つ要素は何ですか?

XLARGEとは20〜25年来のつながりがあったから、今回のコレクションはその歴史を反映したヴィンテージTシャツのようなものにしたかったんだ。

XLARGEは長い間シンガポールになかったと思うし、僕には彼らとの特別な歴史がある。だから、かつてこのブランドを着ていた人たちに話を聞いたら、みんなすごく興奮していたよ。SBTGはヴィンテージTシャツで、XLARGEは新しいTシャツ。それを少し混ぜ合わせたんだ。

それはSBTGが誕生する前の僕の歴史をオーディエンスにちょっとだけ知ってもらうのに、とてもとてもいい方法だと思う。特にこのフォーマットは、フライヤーなんかをちぎって組み合わせる"パンク風"になっている。DIY的な要素がいつも目を引き、多くの注目を集めるんだ。

―あなたの作品は多岐にわたりますね。XLARGEとの個人的な深いつながりを踏まえて、これまでの作品の中で本作はどんな位置づけになりますか?

好きな子を選ぶことはできないけど、僕はいつも「一番好きなのは"最近の子(作品)"だ」と言ってる。僕には今がとても大事なんだ。だから過去のコラボのことを聞かれると、その瞬間は忘れてしまうこともある。いつも前を見てるからね。でも、今作は間違いなく僕のお気に入りのひとつだ。この2つのロゴを一緒に見ることは、僕にとってとても意味のあることなんだよ。

兵役を経験したマーク氏が語る、自身と迷彩柄/ミリタリーとの関係性

―グランジの美学、80年代のアメリカーナ、ポップカルチャーの引用、ミリタリーのモチーフ。それらはすべて、あなたの作品に繰り返し登場する要素です。それらがあなたの作品の主軸となっている理由は何ですか?

ミリタリーの美学についてひとつ触れると、僕は2000年から2002年にかけて、当時のシンガポールで兵役に就いていたからだね。大嫌いだったよ。でも僕はいつもグラフィックや戦車、あらゆるものの塗り方、ステンシル、迷彩服に注目してた。

そこでインスピレーションを得て、ミリタリーの美学につながる自分のブランドを確立するのに多くの時間を費やしたんだ。だからスニーカーをペイントするようになったとき、迷彩柄をたくさん描いた。

初めてペイントしたとき、それはクソみたいに見えるだろう。絵の具の下準備をしたり、形を作るためにたくさんの下準備をしたり、フリースタイルができるようになるまではたくさんのレイヤーがあるんだ。

だからミリタリーの美学や迷彩柄を作ることは"友人"であり"師匠"となった。成功と失敗も教えてくれた。それが僕と迷彩柄やミリタリーの美学との関係だ。訓練なんだ。

そしてグランジの美学は、パンクロックとスケートボードを通したものだった。僕がスケートを始めたときのサウンドトラックがそうだったから、そこから多くの影響を受けたんだよね。いつも言っているんだけど、僕はスケートボーダーの前にパンクロッカーで、その次にアーティストなんだ。その順番。

コービーとステフ、2人のレジェンドに贈った特別なシューズ

―あなたの顧客、あるいはファンベースには世界の大物も含まれています。これまでのキャリアの中で、個人的に印象に残っていることは何ですか?

スケートボード、パンクロック、アーティストの他に、僕はバスケットボールのファンでもある。多くの偉大な選手に会ってきたし、故コービー・ブライアントにも会った。

2008年に彼がシンガポールに来たとき、ナイキが「彼のために国家的な贈り物をしたい」っていうから、僕はシューズをカスタマイズしてナイキストアで彼にプレゼントしたんだ。それはとても名誉なことで、僕がコンセプトを説明したときに彼が "That's what's up!(最高だよ!)"って言ったのを、頭の中ではっきりと覚えている。

今にして思えば、それがちょっと懐かしい。彼ともっと一緒にいたかった。それから数年が経って、ステフィン・カリーにも会うことができた。僕のポートフォリオの中では、2人のチャンピオンのために2つのシューズを作ったことになる。

その間に日本でジョーダンのシューズを作るという話もあったけど、実現しなかった。それが一番の後悔だよ。でも「(今後も)絶対にない」とは言い切れない。それが僕の夢なんだ。

―でもあなたが彼らに会ったとき、それは全盛期のコービーと全盛期のステフだったと思います。2008年はMVPの

コービーでしたし。だからあなたが彼のために作ったシューズのコンセプトは、バスケットボールのファンだけが、そして本物のコービーファンだけがその天才性を本当に理解していましたよね。

もしコービーがデューク大学に進学したら......というコンセプトでシューズを作ったんだ。それは僕たちが彼に提示した架空のコンセプトだったんだけど、彼は"それがいい!"って言ってくれたよ。

―彼にしてはとても新鮮だったでしょうね。デザイナーは(コービー・ブライアント氏が所属していた)レイカーズの

カラーウェイをそのままシューズに着せることもできたと思います。でもこれはコンセプチュアルで、彼の歴史を考慮して再構築したものです。今になって考えても度肝を抜かれますね。

そう、コンセプチュアルなんだ。それを知ってくれてとてもうれしいよ。

「失敗の友になれ。 成功はその副産物なのだから」

―スニーカー、おもちゃ、バッグ、そしてクレジットカードに至るまで、ほとんどすべてのものを手がけてきましたよね。次に手がけてみたいものはありますか?

飛行機だね。

―戦闘機か民間機か、飛行機の種類は決まってますか?

シンガポール航空だよ!「国のために何かしたい」といつも思っていたんだ。まだ100年も経っていない若い国だからね、歴史を書けるような立場にいる。好むと好まざるとにかかわらず、歴史を書くことができるんだ。だから僕はいつも、軍のためにスニーカーを、航空会社のために飛行機を作りたいと思っていた。

―それはどんなものになりますか?

その日が来たら、その時に夢中になっていることを応用したものになるだろう。長い間この世界にいるから、病みつきになるようなことをする方法を知ってるんだ(笑)。

―自分の足跡をたどることを他の人に勧めますか?あなたのように活躍するためには何が必要でしょうか?

起業家として、アーティストとしてこれだけ長く生き残るためには、ビジネスも学ばなければならない。多くの人はそれを望まず、ただ自分の芸術を語らせたいだけだ。今の時代、そんなことはもうあり得ないと言いたい。でも甘く考えてはいけない。両方を学ばなければならないし、両方を共存させなければならない。

パートナーとともに働き、誰かにマネージメントしてもらう。僕は生来の楽天家だ。僕はスケートボードで失敗から訓練を受けた。トリックに挑戦しても、必ず成功するとは限らない。だから僕は失敗と"友だち"になったんだ。こんなに長く続けられたのは、そのおかげだと思う。

このインタビューで伝えられるとしたら、これかな。
「失敗の友になれ。 成功はその副産物なのだから」。

―あなたの功績について、どのように総評されたいですか?

「シンガポールの歴史、東南アジアの歴史に貢献してシンガポールを地図に載せることで"ゲーム"を変えた」と言われたい。

―SNKRDUNKコミュニティへのメッセージをお願いします。

楽しんで!このカルチャーにどっぷり浸かってください。今はいい時代で最高だよ。豊富な製品、コラボレーション、クリエイティビティがこのカルチャーに注ぎ込まれてる。こんな良い時はないんだ。

XLARGE × SBTG 発売情報

ONLINE 発売情報

発売日時:2024年5月18日 10:00〜

POP UP in HYPE DROP 新宿

開催日時:2024年5月18日・19日 11:00〜20:00
開催場所:東京都新宿区歌舞伎町1丁目1-17 エキニア新宿 1階 HYPE DROP 新宿

▶︎XLARGE × SBTGのDropページを見る

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