日本人デザイナーのファッションブランド19選!デザインの特徴についても紹介|コラムについて
「ココ・シャネル」や「イヴ・サンローラン」など、誰もがその名を一度は耳にしたことのあるような世界的に著名なデザイナーたちが、ファッションカルチャーに多大なる貢献をしてきたことは想像に難くないだろう。しかし、同様に日本人デザイナーたちもまた、世界に素晴らしい功績を残してきた。この記事では、日本人デザイナーたちの歩んできた道の一部分やファッションブランドを紹介する。- ▼ファッションデザインの歴史をおさらい
- ▼まずは知っておきたいファッションブランド
- ▼HANAE MORI(ハナエモリ)
- ▼日本を代表するファッションブランド19選とデザインの特徴
- ▼ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)
- ▼KANSAI YAMAMOTO(カンサイ ヤマモト)
- ▼KENZO(ケンゾー)
- ▼YUKI TORII(ユキ トリヰ)
- ▼JUNKO KOSHINO(ジュンコ コシノ)
- ▼Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)
- ▼COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)
- ▼JUNKO SHIMADA(ジュンコシマダ)
- ▼TSUMORI CHISATO(ツモリチサト)
- ▼UNDERCOVER(アンダーカバー)
- ▼JUNYA WATANABE(ジュンヤ ワタナベ)
- ▼A BATHING APE(ア ベイシング エイプ)
- ▼Maison MIHARA YASUHIRO(メゾン ミハラヤスヒロ)
- ▼TOGA(トーガ)
- ▼sacai(サカイ)
- ▼yoshiokubo(ヨシオクボ)
- ▼ANREALAGE(アンリアレイジ)
- ▼Mame Kurogouchi(マメ クロゴウチ)
- ▼doublet(ダブレット)
- ▼注目する若手日本人デザイナーのブランド
- ▼RYUNOSUKEOKAZAKI(リュウノスケオカザキ)
- ▼FETICO(フェティコ)
- ▼MASU(エムエーエスユー)
- ▼TANAKA(タナカ)
- ▼HOUGA(ホウガ)
- ▼今後も日本人デザイナーの活躍に期待
ファッションデザインの歴史をおさらい
日本人デザイナーを知る前に、ファッションデザインというのはいつ、どこで始まったものなのかは知っておきたい。知っている人にはおさらいになるが、改めて説明する。ファッションデザインの歴史は古く、その起源は1858年のパリにある。イギリス出身のデザイナー「シャルル・フレデリック・ウォルト」が、最初のオートクチュール(オーダーメイドの一点物)店をパリで開いたことが始まりとされている。その後、現在に至っても伝説的な人物として名を連ねる「ココ・シャネル」や「クリスチャン・ディオール」らの活躍により、パリという都市が「ファッションの都」として世界的に認知されるように。また、1950年代には、オートクチュールの他にプレタポルテ(既製服)が主流となり、ラグジュアリーファッションは多くの市民権を得ていく。
まずは知っておきたいファッションブランド
ファッション業界の偉人たちは多く存在するが、日本人デザイナーを知るうえで欠かせない人物・ブランドを紹介する。これを押さえておけば、より深い視点でファッション業界を俯瞰することも叶うだろう。HANAE MORI(ハナエモリ)
引用元:WWD
1858年より始まったファッションデザインの歴史に、最も早く参入を果たした日本人デザイナーといえば、HANAE MORI(ハナエモリ)の創業者である「森英恵」だろう。彼女は、東洋人として初めてパリ・オートクチュール組合に認定された、日本を代表するファッションデザイナーの一人だ。1971年、パリへ旅行中に生前の「ココ・シャネル」やデザインスタジオメンバーらにシャネルスーツを製作してもらったことをきっかけに、ニューヨークコレクションへ進出。その後、1977年にパリコレクションにてショーを披露し、日本人デザイナーの中で最も早く海外進出を果たした。ハナエモリは、クリエイションの根幹に「エレガンス」を置き、シグネイチャーであるバタフライモチーフを用いたデザインが特徴。フラワーやフェザーなどを大胆に使用し、華美で女性らしいコレクションを提案する。
日本を代表するファッションブランド19選とデザインの特徴
ここからは、日本を代表するファッションブランドと、そのデザインの特徴を紹介する。創業当時から貫かれる伝統的なデザインは継承され、現在でもショップなどで見ることができる。ブランドの歴史や特徴を知ると、買い物がより楽しめるだろう。ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)
イッセイミヤケは、1971年、「三宅一生」により創業したファッションブランド。三宅は、美術大学でデザインについて学び、日本で初めて開催された「世界デザイン会議」では、衣服をファッションではなくデザインと捉える独自の解釈を発表して注目を浴びた。イッセイミヤケは、日本の着物などからインスピレーションを得たという「一枚の布」という思考をベースに、肌と布の接続とその関係性について追求したクリエイションを展開する。そのデザインは、華美な装飾を抑えた洗練されたディテールと、布と布を繋ぐシームレスな縫製により、まるで一枚の布を纏ったかのような優美な印象を放つ。トライアングルフォルムが煌めく"バオ バオ"
引用元:イッセイ ミヤケ公式サイト1993年に発売された代表作である「プリーツ・プリーズ」のバッグから派生し、現在でも多くのファンを魅了するシリーズが「バオ バオ」。2010年よりバッグブランドBAO BAO ISSEY MIYAKE(バオ バオ イッセイ ミヤケ)として独立し、ウォレットやバックパックなども展開。最大の特徴は、無限に形を作り出すことができるという新鋭的なコンセプトから生まれた幾何学的なデザイン。動く度にトライアングルフォルムが煌めき、様々な表情を晒すことでコーディネートに鮮度を与えてくれる。
KANSAI YAMAMOTO(カンサイ ヤマモト)
カンサイ ヤマモトの創業者である「山本寛斎」は、「コシノ ジュンコ」らの元でキャリアを積み、1971年、「やまもと寛斎」というブランド名を掲げ独立を果たす。山本は、日本人として初めてロンドンコレクションに進出し、トラディショナルな日本のカルチャーを独自に組み替え構成された気鋭なデザインや、ドラマティックな色使いが世界的に評価を得たことでファッションデザイナーとしての確かな地位を確立。その後、2016年にブランド名をカンサイ ヤマモトに変え、創業当初から受け継がれるブランドのDNAが反映されたアグレッシブなクリエイティブを展開する。デヴィッド・ボウイが愛したTOKYO POP(トーキョーポップ)
引用元:dezeenカンサイ ヤマモトの代表作といえば、デヴィッド・ボウイと呼ばれる世界的に有名なロックミュージシャンのステージ衣装として製作した、ジャンプスーツ「トーキョーポップ」。このアイテムには、歌舞伎の「引抜き」を応用した仕掛けが施されており、コンサートでは瞬く間に下に着ていたニットが現れたという。幾重にも施されたラインが近未来感を与え、両足部分のディテールは極端に拡大されていることで、舞台上では存在感を遺憾なく発揮した。個性的な服が好きな人におすすめのブランド。
KENZO(ケンゾー)
ケンゾーは、1970年にデザイナーの「高田賢三」により創設されたブランド。高田は文化服装学院で学び、在学中に第8回装苑賞を受賞。同級の生徒には「コシノジュンコ」など、後のファッション界を牽引する人材が揃っていたという。その後、パリに「ジャングル・ジャップ」という小さなブティックをオープンさせた。(後にケンゾーに変更)また、1970年に作品が雑誌『ELLE』の表紙を飾ったことをきっかけに、世界に注目されるように。同年、高田は会場を借りてショーを開催。当時は自社ショールームでコレクションを発表することが主流だったが、高田の新しい試みが世界的に評価を受け、現在のプレタポルテ発表形式の定番となった。ジャングル・ジャップ精神を表現した、タイガーモチーフ
ケンゾーのシグネイチャーとなるのは、大胆な表情を晒すタイガーモチーフ。高田は、パリへ渡った際に様々な国に足を運び、その地で見た鮮やかな自然や文化からインスピレーションを受け、ケンゾーの表現する色彩豊かでグローバルな世界観がつくられた。そして、ブランド創設時のテーマをエネルギーや自然、「ジャングル・ジャップ」精神とし、野生のトラを表現したタイガーモチーフが生まれた。その後、アーティスティック・ディレクターに「NIGO」を迎え、タイガーモチーフは様々なアイテムに形を変えながら高田のスピリットを受け継いでいる。スニダンで「ケンゾー 'タイガー バーシティ' ジャケット "ミッドナイト ブルー"」をもっと見る
YUKI TORII(ユキ トリヰ)
ユキ トリヰは、1975年に創立した日本のファッションブランド。創業者である「鳥居ユキ」は、終戦後、母親とともに洋装店を開業したことでブランドをスタートさせる。1950年に銀座に店舗を出し、その後、ディオールのショーに影響を受けたことや、ファッションコンサルタントの「ジャン・ジャック・ピカール」と出会ったことをきっかけに、1975年からパリコレクションにてショーを開催。1975年から2008年までパリで発表を続け、日本を代表するファッションデザイナーの一人となった。鳥居は、2011年にデザイナーとしての活動が50周年を迎え、また、発表してきたコレクションが100回目を超えるなど、現在でも躍進を続ける人物といえる。エレガンスあふれるフラワーモチーフ
引用元:ユキ トリヰ公式サイトユキ トリヰを象徴とするスタイルは、花柄モチーフを用いた表現だ。ジャカードの上に刺繍を施したり、ローズプリントをアクセントとして配したりと、時代と共に様々なアイテムへそのデザインを継承してきた。また、歴代のコレクションからは、一貫してエレガンスを貫くヘリテージも感じさせる。多くの色彩を絶妙な配色で使用し、嫌味のない上品さを備えたデザインは唯一無二だといえるだろう。現在まで、一度も休まずコレクション発表を続ける鳥居。そんな彼女コレクションからは、目に見えないエネルギーや情熱を感じられること間違いなし。
JUNKO KOSHINO(ジュンコ コシノ)
ジュンコ コシノは、創業者である「コシノ ジュンコ」の名前を冠したファッションブランド。姉は「コシノ ヒロコ」、妹は「コシノ ミチコ」といい、それぞれが自身のブランドをもち、3姉妹が全員ファッションデザイナー。コシノは、文化服装学院にて学ぶ。同じ学年には「高田賢三」など著名な人物が揃い、"花の9期生"と呼ばれている。在学中、最年少である19歳で「装苑賞」を受賞。その後、ファッションの道を突き進み、1966年には東京・青山にブティック「COLETTE」をオープン。1978年、初めてパリコレクションにてショーを発表し、現在では世界各地でコレクションを発表している。"和"とアヴァンギャルドの共存
引用元:ジュンコ コシノ公式サイトコシノのデザインには、故郷である大阪府岸和田市の「だんじり」(日本の祭礼に奉納される山車)の影響が反映されている。「だんじりは人生そのものだ」と、後に語っているほど。コシノのコレクションは、至るところに和の要素が散りばめられており、前衛的なデザインとトラディショナルな和テイストが共存を叶えている。近年では、ファッション分野のみならず、アートやインテリア、花火のデザインやオーケストラなどクリエイションの幅を拡大し、常に挑戦と進化を続けている。
Yohji Yamamoto(ヨウジヤマモト)
ヨウジヤマモトは、1984年に「山本耀司」がスタートさせたコレクションライン。山本が最初に手がけたブランドはY’s(ワイズ)といい、1972年に「男性の服を女性が着る」をコンセプトに発足。1977年に東京コレクションにてデビューを果たし、1981年、パリコレクションにてショーを発表。その後、メンズラインであるヨウジヤマモトをスタートさせた。山本は、慶応義塾大学を卒業してバックパッカーに。その後、オーダーメイドを専門の洋装店を営む母親と同じ文化服装学院へ入学。卒業と同年、「装苑賞」と「遠藤賞」を受賞した。"黒の衝撃"と呼ばれたファーストコレクション
ヨウジヤマモトと聞いて、モードな黒色を基調としたデザインを思い浮かべる人も多いはずだ。その起源は、1981年のパリコレクションにある。当時、コレクションの主流となっていたのはネオンカラーをベースにし、ボディシルエットが強調されるデザインだった。しかし、山本は当時タブーとされていた真逆の黒を使い、また、オーバーサイズのアイテムを発表。そのファーストコレクションは「黒の衝撃」と称され、パリでは批判的な意見が多数を締めたという。その後、山本の独自のクリエイションには着実にファンが増え、1994年、フランスより芸術文化勲章「シュバリエ」を受章した。スニダンで「ヨウジ ヤマモト ウール ビーバー ストール カラー ビッグ シルエット コート "ブラック"」をもっと見る
COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)
コムデギャルソンは、1969年に「川久保玲」が立ち上げたブランド。1975年に東京コレクションにてデビュー。その後、1978年にメンズラインであるCOMME des GARÇONS HOMME(コムデギャルソン・オム)をスタートさせた。日本での活動を経て「山本耀司」とパリに渡り、コレクションを発表。黒をベースにそこらじゅうに穴の空いたウェアなどを発表し、当時のパリではタブーであったため「黒の衝撃」と批判される。その後、独特なカットワークなどの前衛的なデザインが受け入れられ、現在まで愛されるブランドへと成長していく。"反骨精神"からなる真のクラシック
コムデギャルソンの名前の由来は、フランス語で「少年のように」という意味だそう。その由来のとおり、ジェンダーの垣根さえ超越したクラシックなスタイルは、今でも多くのファンを魅了している。また、コムデギャルソンのコンセプトは既成概念に挑む反骨精神。多数の穴やさまざまなファブリックを用いたアバンギャルドなデザインからは、そんな精神を感じられるだろう。彼女が生み出すアイテムを身に纏うことで、既存のイデオロギーから逸脱した新たな解釈を体現できるはずだ。スニダンで「コム デ ギャルソン アシンメトリーヘム コート "ブラック"」をもっと見る
JUNKO SHIMADA(ジュンコシマダ)
ジュンコシマダは、1981年にデザイナー「島田順子」が創設したファッションブランド。1970年代からフランスでデザイナーとして活動し、プランタン研究室を経てCacharel(キャシャレル)でキャリアをスタートさせる。1981年にはパリでデザインスタジオを設け、自身の名を冠したジュンコシマダとしてパリコレクションにてデビューを飾った。2012年にはフランス共和国芸術文化勲章「シュバリエ」を受賞。80歳という年齢を感じさせないエネルギッシュなクリエイションは、ブランド発足当初から色褪せない魅力を放つ。女性的でありながらアグレッシブ
引用元:VOGUEジュンコシマダの特徴は、パリのエレガンス漂うデザインが挙げられる。女性らしさを強調する上品なデザインから、アクティブな色や柄を組み合わせたデザインまで幅広く表現する能力を有する。そして、女性的でありながらアグレッシブさを携えた刺激的なデザインは、多くの女性から支持を獲得してきた。また、和のテイストも採用するなど、日本の美しさとパリの気品を併せもつ独特の空気感は、ジュンコシマダ特有のものといえるだろう。
TSUMORI CHISATO(ツモリチサト)
ツモリチサトは1990年、デザイナーである「津森千里」が創設したブランド。(2019年春夏をもってブランド終了)津森は、文化服装学院にて学び、株式会社イッセイ ミヤケインターナショナルに入社。そこで、ISSEY SPORT(イッセイスポーツ)のデザイナーとなりキャリアをスタートさせる。その後、チーフデザイナーとなり、ブランド名をIS.Chisato Tsumori Design(イッセイスポーツチサトツモリデザイン)に変更。1990年にはブランド名をツモリチサトにし、2003年のパリコレクションにてデビューを飾った。ファンタジーな世界を体現する猫モチーフ
引用元:ツモリチサト公式サイトデザイナーである津森が好きなものや興味のあることを思うままに表現し、絵本の世界をリアルフィールドで体現しているかのような世界観は、唯一無二の存在感を放つ。テイストはガーリーでありセクシー。また、明るい色を組み合わせたアイテムからは、身に纏うだけで幸福感を得ることができるだろう。そんなツモリチサトを象徴するデザインは、ウェアから雑貨まで至るところに登場する猫モチーフだ。これによってファンタジーなムードが盛り上がり、とことんツモリチサトの世界観に没頭することが可能。
UNDERCOVER(アンダーカバー)
アンダーカバーは1990年、デザイナーの「高橋盾」とVANDALIZE(ヴァンダライズ)のデザイナー「一之瀬弘法」がスタートさせたファッションブランド。高橋は文化服装学院の在学中だったそう。卒業後、本格的にブランド活動を開始し、1993年に「NIGO」とセレクトショップNOWHERE(ノーウェア)を立ち上げ、"裏原系"と呼ばれるムーブメントの先駆けに。ブランドを拡大させ、2002年にパリコレクションへ参加を果たした。ブランド名は造語で、「正体を隠し、秘密めいた雰囲気を漂わせたい」という意味から生まれたという。トレンドへのアンチテーゼを表するアグレッシブなアイテムは、カルト的な人気を誇っている。ロックテイストが折り込まれたプリントTシャツ
アンダーカバーの代表作の一つには、プリントTシャツも挙げられる。ブランド発足後、最初の作品として発表したのが手刷りのプリントTシャツだった。これは、赤く染めたガーゼを連合赤軍の指名手配犯の顔をプリントしたアイテム。アンダーカバーのデザインの根幹にある、「見たことがあるようで、誰も見たことのない服」という思考が反映された前衛的なデザインになっている。また、パンクの影響を強く受け、ロックテイストが折り込まれたウェアは、取り入れるだけで個性を主張できるはずだ。スニダンで「アンダーカバー T-シャツ "ホワイト"」をもっと見る
JUNYA WATANABE(ジュンヤ ワタナベ)
ジュンヤ ワタナベは1992年、「渡辺淳弥」が設立したウィメンズブランド。コム デ ギャルソンのラインの一つであり、当初はJUNYA WATANABE COMME des GARÇONS(ジュンヤ ワタナベ コム デ ギャルソン)という名前だった。渡辺は文化服装学院を卒業後、コム デ ギャルソンに入社。1992年に、初のソロコレクとしてションジュンヤ ワタナベ コム デ ギャルソンを発表する。その翌年、パリコレクションにてデビューを果たすという、華々しいキャリアを積む。2022年から、ブランド名をジュンヤ ワタナベに変更し、現在に至ってもその人気は衰えず多くのファンを魅了し続けている。多様なファブリックで"再構築"
引用元:VOGUEジュンヤ ワタナベのデザインの特徴は、デニムやチェック柄など、多様なファブリックやテイストを再構築するということ。また、ファン付きのウェアなどからは、実験的なアイテムに挑戦する先駆的なヘリテージも感じさせます。既存のウェアを解体し、変形し、構築する。そうして生み出されるアイテムは、どこか既視感と革新的さをもたらす。メンズラインのJUNYA WATANABE MAN(ジュンヤ ワタナベ マン)も展開し、現在でも人気を博している。
A BATHING APE(ア ベイシング エイプ)
ア ベイシング エイプは1993年、デザイナー「NIGO」により創立されたファッションブランド。「NIGO」は、スタイリストなどを経験し独立。1993年、原宿に店舗をオープン。"裏原系"と呼ばれるムーブメントにより同ブランドが注目され始めた。その後、ウィメンズラインの展開が終了し、「NIGO」は退任。2012年にAAPE BY A BATHING APE®(エーエイプ バイ ア ベイシング エイプ®)というヤングラインをスタートさせ、現在ではウィメンズも復活し、キッズラインなど分野の拡大を叶えている。ユニークな表情を晒す猿モチーフ
ア ベイシング エイプのアイテムに多く登場するのは、アイコニックな猿モチーフだ。アイテムによりイラストのタッチは様々で、深みのある表情や可愛らしい表情の猿など、好みによって楽しめるようになっている。これは、「NIGO」が猿をテーマにした著名な映画のファンだったことから誕生したそう。また、ブランドの正式名称はA BATHING APE IN LUKEWARM WATER(アベイシング エイプ イン ルークウォーム ウォーター)といい、「ぬるま湯につかった猿」という遊び心も。スニダンで「ア ベイシング エイプ タイガー カモ カレッジ リラックス フィット クルーネック "グレー"」をもっと見る
Maison MIHARA YASUHIRO(メゾン ミハラヤスヒロ)
メゾン ミハラヤスヒロは、デザイナーの「三原康裕」がスタートさせたブランド。母親が画家という環境で育ち、「三宅一生」と同じ多摩美術大学にて学ぶ。在学中に独学で靴作りを始め、1996年、archi doom(アーキドゥーム)という名称でブランドをスタートさせた。大学を卒業後にブランド名をミハラヤスヒロに変更。展開するアイテムを増やしていき、2000年頃から東京コレクションに参加。そして、発表の場をミラノコレクション、パリコレクションへと移していく。2016年よりブランド名をメゾン ミハラヤスヒロに変更し、現在でもアバンギャルドなデザインが評されている。デザイナー自らが形成した、"粘土ソール"スニーカー
メゾン ミハラヤスヒロといえば、ブランドアイコン的存在のスニーカーは押さえておきたい。三原が粘土で形成した型から生まれたという、オリジナルの"粘土ソール"がアイコニックな表情を晒す人気アイテム。 美術大学にて学んだ技術をスニーカーに落とし込み、太めのシューレースや凹凸のある見た目がモダンさと都会的さの共存を叶えている。また、天然素材を使用したラインが登場するなど、環境への配慮も欠かせないところも魅力の一つだ。スニダンで「メゾン ミハラ ヤスヒロ "ウェイン" OG ソール レザー ロートップ スニーカー "ホワイト/グレー"」をもっと見る
TOGA(トーガ)
トーガは1997年、デザイナー「古田泰子」によって創立されたファッションブランド。古田は、高校卒業後に世界初のファッション専門教育機関であるエスモードの東京校にて学び、3年後にパリ校へ編入。ファッションについて多くを吸収し、帰国後はパタンナーや衣装作成など経験して独立。2001年に東京コレクションに参加を果たし、2006年春夏シーズンからはパリコレクションへと進出した。現在では数多くのラインにてアイテムを展開し、ブランドは成長を続けている。ドレープや斬新なカッティング
引用元:TOGA公式サイトトーガのデザインで特徴的なのは、布を纏っているかのような美しい形状のウェアが挙げられる。これは、ブランド名の意味でもある、古代ローマの市民が着ていた聖なる衣「トーガ」に起因する。また、大胆なカッティングの施されたディテールや、フリルなどの異素材を巧みに採用するテクニックも同ブランドならでは。布という概念を独自に解釈したアイテムは、動くたびに優美な表情を晒し、女性らしい印象を纏うことが可能だ。
sacai(サカイ)
サカイは1999年、デザイナーである「阿部千登勢」によってスタートしたブランド。阿部は、コムデギャルソンにてニット・カットソー担当として経験を積む。ブランド創設を果たした最初のコレクションは5型のみで展開。以降、展示会形式のスタイルで活動を続ける。その後、2003年にニューヨーク、その翌年にはパリにて展示会を発表した。2011年、パリにてランウェイショー形式でコレクションを発表。これは、サカイにとって初めてのことだった。その後、サカイは独自のクリエイションを認められ、世界的に有名なブランドと数多くのコラボレーションをするなど、活躍の場を広げている。日常シーンに寄り添うファブリックを軸とした、異素材の組み合わせ
サカイのデザインのベースとなるのは、コンセプトの「日常の上に成り立つデザイン」であるということ。これは、日常シーンを連想させるニットなどの素材をベースに、異素材を組み合わせることで、革新的なデザインでありながら、1日中着られるようなエフォートレスなアイテムになっている。また、テープやレースなどの素材を組み合わせる技法は、サカイ流のミックススタイルとして世界で認められ、現在に至ってもそのスタイルを貫き様々な世代から支持を得ている。スニダンで「サカイ チョーク ストライプ x ウール ニット カーディガン "オフ ホワイト/カーキ"」をもっと見る
yoshiokubo(ヨシオクボ)
ヨシオクボは、2004年にデザイナー「久保嘉男」がスタートさせたメンズブランド。久保は、フィラデルフィア・スクール・オブ・テキスタイル&サイエンスを卒業後、ニューヨークにて「ロバート・デニス」の元でオートクチュールの服作りを学ぶ。2004年に帰国した後、自身の名を冠し「ヨシオクボ」という名称でブランドを創設。その後、UNDECORATED(アンデコレイテッド)というブランドを立ち上げるなど活躍の場を広げていく。ヨシオクボは、2019年の春夏コレクションよりパリにてショーを開催。ウィメンズブランドとしてmuller of yoshiokubo(ミュラー オブ ヨシオクボ)を発表している。繊細なファブリックとアクティブなテイストの融合
引用元:ヨシオクボ公式サイトヨシオクボのデザインのベースとなるのはアクティブなテイスト。そこに、繊細なレースや透け感のあるファブリックを採用し、独自の世界観を表現している。久保は、ニューヨークにてオートクチュールの服作りを学んだ技術を活かし、コンセプトである「今まで見た事のないパターンやディティールを追求したい」という思考を反映させた、革新的なアイテムを展開する。芸術的な美しさを纏ったヨシオクボのアイテムは、唯一無二の存在感を放つだろう。
ANREALAGE(アンリアレイジ)
アンリアレイジは2003年、デザイナー「森永邦彦」の手により生まれたブランド。森永は早稲田大学の在学中、バンタンデザイン研究所に通いながらアンリアレイジを創設。その後、2005年にニューヨークで行われた新人デザイナーコンテストにて、アバンギャルド部門の大賞を受賞する。 2006年からはパリでのショーを目標に、10年間東京でのコレクション発表を続ける。そして、2014年、目標であったパリコレクションにてショーの開催を果たした。また、2019年のLVMHプライズでファイナリストに選出されるなど、世界的にも注目を集めるブランド。アートピースのような独自の世界観
引用元:アンリアレイジ公式サイトアンリアレイジのブランド名は、日常を意味する「REAL」と、非日常を意味する「UNREAL」、さらに時代を意味する「AGE」の三つの言葉で構成された造語。日常の中でフォーカスされにくい非日常に焦点を当てて生み出されるアイテムは、アート性の高さが特徴の一つ。また、着る人に合わせてサイズが変わるウェアなどを展開し、これまでの既成概念を覆すような斬新なクリエイションは同ブランドならではといえる。
Mame Kurogouchi(マメ クロゴウチ)
マメ クロゴウチは2010年、デザイナー「黒河内真衣子」により創設されたファッションブランド。黒河内は、三宅デザイン事務所で経験を積んだ後、ウィメンズブランドであるMame(マメ)をスタートさせたのが始まり。その後、2015年春夏シーズンにパリでの展示をスタート。2016年春夏シーズンからはニューヨークのショールームなどで取り扱いが開始。そして、2018年に初めてパリコレクションでショーの開催を果たした。この際に、ブランド名をマメ クロゴウチへ変更している。流線的で美しい"コード刺繍"
引用元:マメ クロゴウチ公式サイトマメ クロゴウチのシグネイチャーは、コード刺繍を用いたアイテムが挙げられる。コード刺繍とは、意匠糸やテープなどを布地に刺繍で縫い付ける加工方法で、繊細ながら強く、しなやかに仕上がるのが特徴。ブランドコンセプトである「女性が現代社会で強く生きるための戦闘服」という思考は、このコード刺繍からも感じることができる。また、アイコンアイテムとして、刺繍のデザインを拡大解釈したようなPVCバッグも人気だ。職人が1つ1つ手作業で作り細部にまでこだわったアイテムは、コーディネートに革新的なエッセンスをもたらすだろう。
doublet(ダブレット)
2012年、デザイナー「井野将之」が立ち上げた日本のファッションブランド。井野は東京モード学園卒業後、企業デザイナーとして経験を積んだ後、ミハラ ヤスヒロにて靴、アクササリーの企画生産を務める。言葉を変化させるように、ベーシックでスタンダードなアイテムの一部分を唐突な別のアイデアに置き換えてゆき、見慣れている物を「違和感のある日常着」に変化させることをコンセプトに、ウェアからアクセサリーまでのトータルアイテムを展開。2018年のLVMHプライズにてグランプリを受賞し、世界に通じる実力を備えたブランドといえる。ファッションが与える、最大級の"ハッピー"
引用元:VOGUEダブレットを象徴するデザインとして、表現の自由さもその一つ。また、毎シーズン業界を驚かせるコンセプチュアルなショーも、同ブランドを語るうえで欠かせないだろう。ウェアやコレクションの表現はユーモアに富んでおり、井野自身が心からファッションを楽しんでいることが伝わるようなハッピー感満載のクリエイションは、ファッション業界から高い評価を得ている。ダブレットの洋服を身に纏えば、ありふれた日常の刷新を叶えるはずだ。
注目する若手日本人デザイナーのブランド
近年、日本のファッション業界から注目を浴びているブランドがいくつか存在する。東京コレクションに参画し、ファッションに知見のある若者からお洒落玄人まで、幅広い世代から注目を集めるブランドも多い。オーディエンス側は新しいブランドの発掘ができるなど、多様な角度から楽しむことができるだろう。近年では、ランウェイショーをオンライン開催するブランドも増えている。直接会場へ足を運ぶことが難しくとも、ネットワークさえ繋がっていれば、リアルタイムでショーを視聴することが可能だ。ここでは、ほんの一部ではあるが紹介したいブランドがあるので、ぜひチェックしてほしい。RYUNOSUKEOKAZAKI(リュウノスケオカザキ)
リュウノスケオカザキは、デザイナー「岡﨑龍之祐」が2018年に創設したファッションブランド。岡﨑は東京藝術大学を卒業後、自身の名を冠してリュウノスケオカザキという名称でブランドをスタート。2021年に東京コレクションにてデビューし、2022年のLVMHブライズにてセミファイナリストに選出された。美術大学にて培われた技術やクリエイティビティが反映されたコレクションは、着られるアートピースのような独自の存在感を放つ。東京でのコレクション発表が中心だが、世界に進出するのはそう遠くはないかもしれない。今後の活躍に期待が高まっているブランドの一つだ。
FETICO(フェティコ)
フェティコは、2020-21年秋冬シーズンよりスタートしたファッションブランド。CHRISTIAN DADA(クリスチャン ダダ)のウィメンズデザイナーを務めた「舟山瑛美」と、クリスチャン ダダのパタンナーであった「高浜温子」と二人で立ち上げた。デザイナーである「舟山瑛美」は、エスモード東京校でファッションについて学び、国内のDCブランドで経験を積んだ後に同ブランドを創設。フェティコのデザインは、女性が本来もつ美しさを根底から引き出すような、強さと美しさを備えているのが特徴。フェティッシュでアヴァンギャルドなアイテムは、纏うだけで勇気を与えてくれるだろう。
MASU(エムエーエスユー)
エムエーエスユーは、2017年春夏シーズンよりスタートしたメンズ・ファッションブランド。masu(マス)というブランド名から始まり、2018年秋冬、同ブランドのリブランディング機に「後藤愼平」がデザイナーに就任した。このタイミングでブランド名を現在のMASU(エムエーエスユー)へと変更。彼は文化服装学院のメンズデザインコースでテーラリングについて学んだ。その後、ユーズドを扱うLAILA(ライラ)で働き、2014年に同社に入社。ウェアの修繕や企画・生産管理として携わった経験は、現在のスタイルに大きな影響を与えたことだろう。そんな同ブランドのクリエイションは、どこか懐かしく、時代遍歴を色濃く感じるファブリックを多く採用している。それらをテクニカルに構成しモダンに再構築するさまは、幅広い世代の心を揺れ動かす魅力にあふれている。
TANAKA(タナカ)
タナカは、2017年にデザイナー「タナカサヨリ」が、自身の家族への敬意と愛情をブランド名に冠して発足したブランド。ニューヨークを拠点とし、グローバルなクリエイティブ活動を行う。東京モード学園卒業した後、ヨウジヤマモト社に入社。企画、ニットカットソーデザイナーとして経験を積み、ファーストリテイリング社に入社。その後、ニューヨークオフィスにて、ユニクロのウィメンズグローバルデザインチームのリーダーを務めた。造園家の祖父と洋画家・着物のテキスタイルデザイナーの父の元で育ち、幼い頃より芸術的な感性を磨いたというバックグラウンドをもつ。「これまでの100年とこれからの100年を紡ぐ衣服。時代、性別を超えて永く愛される衣服。」をテーマに掲げ、環境への配慮とトラディショナルな技術を織り交ぜた、長く愛用できるニュークラシックな服を展開する。
HOUGA(ホウガ)
ホウガは、2018年に創設し、2019年春夏シーズンからスタートしたファッションブランド。デザイナーの「石田萌」は、慶應義塾大学文学部にて美学美術史専攻し、エスモード・ジャポン東京校にてデザインへの学びを深めていく。第86回装苑賞佳作1位、第11回YKKファスニングアワード優秀賞受賞。株式会社ビギ(BIGI)にてフラボア(FRAPBOIS)の企画を経験し、出産を機に退職。その後、2019年春夏シーズンから同ブランドをスタートさせた。デザインの特徴は、立体的な奥行きがあるドレープなどの生地使い。ダイナミックでありながら、どこか流麗でマスキュリンな美しさを放つアイテムを得意とする。
今後も日本人デザイナーの活躍に期待
オートクチュールから始まり、プレタポルテが主流となったラグジュアリーファッション。その歴史に名を残す日本人デザイナーたちは、世界へ誇る実力を備えている。この記事で紹介したファッションブランドは一部ではあるが、ブランドの歴史について知ることで、より一層ファッションを楽しむことが叶うだろう。今後も日本人デザイナーの活躍に期待したい。関連記事
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