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スタイリストである以前に、人間力の高いひとでありたい

ファッションやエンタメ業界で活躍しているトレンドセッターに、ファッションにまつわる自身の歴史や仕事観や今後の展望などを語ってもらいつつ、旬なセルフスタイルを披露する新連載「What's Your HYPE?」がスタート。記念すべき最初のゲストはスタイリスト・服部昌孝さん。ファッションやエンタメなど、多様なシーンで活躍する服部さんに、スタイリストという仕事にフォーカスし、話を聞いた。

Photography & Movie: Tsukuru Asada(MILD)
Interview & text: Kei Osawa

ファッションに興味を持ったのはいつ頃からですか?

中学生くらいからです。ファッション雑誌を読んだりしていました。周囲の友達も雑誌を読んでいたこともあって、自分も自然と手に取っていたように思います。高校生になると熱量が高まり、当時は裏原ブームだったので、以前よりもめちゃくちゃ読み込むようになりました。 「Smart」や「Boon」などストリート系の雑誌の影響をモロに受けていました。そうそう、「COOLTRANS」や「Ollie」とかもそうですね。

当時はどんなファッションだったのですか?

ごりごりのストリートでしたね。〈NUMBER(N)INE/ナンバーナイン〉や〈A BATHING APE/ア ベイシング エイプ〉とか着ていました。スニーカーも流行っていましたが、バスケ部に所属していたことが関係あるのかわかりませんが、そこまで興味がなかったですね。バイトもしていなかったので、お金もありませんでしたし。

スタイリストになろうと思ったきっかけは、何だったのですか?

洋服が好きだったこともありますが、ぶっちゃけモテたかったから(笑)。当時は全くモテず、スタイリストになればモテると、純粋に思っていたんです。アシスタントについたのが大学在学中だったので、学校に通いながら活動をしていました。ただ実家の両親は自分がスタイリストを目ざすことに対して大反対だったので、一時期はほぼ絶縁状態でした。

アシスタント時代はどんなファッションだったのですか?

当時は本当にお金がなかったですし、何より激務だったので自分のファッションにこだわっている暇なんてありませんでした。ただ、今振り返ると、お金も時間もないなりにものすごく頭を使って買いものをしていたと思います。『サンキューマート』や量り売りの古着屋さんなどで、誰も着ないような〈RALPH LAUREN/ラルフローレン〉の5XLのバカでかいシャツを買ったり、〈ROUND HOUSE/ラウンドハウス〉のペインターパンツが当時、サンタモニカで6,000円で売っていたので、大きめのサイズを買って腰ばきしていました。

アシスタント時代を振り返ってみていかがですか?

本当にキツすぎたので、今後あんなことは絶対に経験したくないです。まじできつかった(笑)。ただキツくはあったんですけど……、不思議なもので、楽しかったとも感じるんです。当時、モデハン(モデルハンティング=街でモデルをしてくれそうな人に声をかけること)文化があったので、渋谷のセンター街にアシスタントたちが夜な夜な10人くらい集まってモデルに適した人に、片っ端から声をかけまくっていたんです。その間、お金がない中みんなでジュースじゃんけんをしたりして、わきあいあいとしていたと思います。終電がなくなる頃には街ゆく人たちが激減するのですが、そうなったらもう俺らの時間というか。モデハンを終えると激安の居酒屋へ飲みに行ったりして、その時間もすごく楽しかったんです。中には酔っぱらってセンター街の駐車場で寝ちゃって、そのまま早朝から現場に行くみたいなやつもいて。全然寝ていなかったから、そりゃミスもするわっていう(笑)。いま思えば結構むちゃくちゃでしたけど、日常がそんな感じでした。でもその経験が確実に生かされています。

大変だったというアシスタントを5年間経験し、晴れて独立しましたが、どんな気持ちでしたか?

もちろん嬉しかったですが、当時はだいぶ生意気だったと思います。そうそう、とある編集部に営業に行ったんです。独立したばかりで仕事もなかったので、自分の作品を見てもらおうと思って。そこにいた全員が見てくれたんですけど、何だか彼らの意見が煮えきらなかったんです。その席で編集者の一人から「服部くんはうちの雑誌で何がしたいの?」って言われて、逆ギレしちゃって「何もしたくないですね」と言って、そのまま帰りました。もうめちゃくちゃですよね、仕事が欲しくて営業に行ってるのに(笑)。そんな感じだったので、仕事は少なかったです。

そんなどん底から、いつ手応えを感じたのですか?

2016年に〈Umit Benan/ウミットベナン〉が東コレに招待されたのですが、そのときにスタイリングを担当したときですね。業界の人たちは、誰もが大御所スタイリストが担当すると思うじゃないですか。そこで俺がやることになったからびっくり。でもよく考えたら、その一年前からインスタで繋がっていたんです。ウミットの作品をインスタにアップしたら、彼がフォローをしてくれて。この出来事は本当に大きかったですし、グローバルな人と繋がったと確信しました。

アシスタント時代を振り返ってみていかがですか?

みんなインスタでプライベートを見せていますが、それが理解できなかったんです。 じゃあ自分にとってインスタは何のためにあるんだろうって考えて、思い至ったのが自分の作品をあげることでした。海外では作品を見せることは普通なことですが、当時の日本は軽はずみに作品を出してはいけないという暗黙のルールがあって。みんな頭が堅いというか、なぜダメなのか理解できなくて。インスタって、世界へ何かを伝えるツールとしてはめちゃくちゃ早いじゃないですか。だからなんでやらないんだろうって、すごく思っていました。だから「もうやっちゃおう」って。

暗黙のルールを破ることに怖さはなかったですか?

全く怖くなかったですね。というか先ほどの話ではないですが、デビュー当時から自分はイタいやつでしたし。いまさら怖さなんてありません(笑)。

では仕事をする上で大事にしていることは、どんなことですか?

場所は関係ないということですね。要は戦うフィールドはどこでもいいっていう。ファッションの仕事をやっているからファッション誌をやらなきゃいけないとか、そういう気持ちは全くないですし、ファッションはどこでもできるというのが、今の自分の考え方ですね。色んなものを巻き込んでいかないと、特に日本のファッションは終わっちゃう気がします。 というのも、スタイリストとしてデビューした時は、ファッション雑誌でごりごりのファッションをやりたいと思っていましたが、蓋を開けてみたら全然違ったんです。色んなものが逆行していくと言いますか、本来自由であったものが、予算との兼ね合いで縛りがどんどん強くなって。”もっとファッションって自由でいいじゃん”ということが、表現できなくなってきたように感じました。であれば、ファッションにエンターテイメントを巻き込まないといけない。そういう思いからアーティストの仕事をやり始めました。

雑誌でもライブ衣装でも、スタイリングをする際に意識していることはどんなことですか?

まず、長所を伸ばしてあげるということ。着せてみて、明らかに似合わないことはやらないけど「今回だけ着てみたら」と提案はします。方法としては、まずいつも着ないようなデザインの衣装を見せて、そのあとから徐々にいつも着慣れているような服を見せていくっていう。細分化して見せるから、出す順番も考えています。あとどのフィールドでも一貫して言えるのは、ムーブメントを作りたいということ。これはつねに狙っています。「いまここで、これをカマしたらちょっと流行るんじゃないか」とか、ずっと眠らせておいたカードをどこで切ろうかとか、そういうことは考えています。

切るタイミングってどんなときですか?

自分の感覚だけです。自分たちが知っていても、若い人たちが知らないことっていっぱいあるじゃないですか。そういった意味ではカードを切りやすいんです。カードについてはいつも考えているわけじゃなく、急に思いつくことが多いです。若い世代の人は良くも悪くも、カルチャーもへったくれもないと思うんです。だから、自分たちが持っている昔のカルチャーをスタイリングとしてフレッシュに表現したら、彼らも理解できると思うんです。だからカードを切るときは、持っているものをフレッシュなものとして見せるように心がけています。「あの映画のあのシーンの衣装ってさ……」みたいな話って、もう誰もしないと思うんですよ。でも知らないからこそ逆手に取って、新しく見せないといけない。

日本をベースに、グローバルに仕事をされていますが、今後はどんなビジョンをお持ちですか?

自分の中では、日本にいながら海外の仕事もやっていきたいという思いがすごくあります。ただ日本がメインだと、ちょっときついですね。

何がきついですか?

いまの日本は、アジアの中で負けていると思うんです。それはファッションだけじゃなく、エンターテイメントそのものが遅れていると思います。ひと昔前まで日本人は、アジアでNo.1というを意識を持っていたと思います。でも状況が変わっていることをわかってないように思うんです。例えば最近だと、日本製の生地や製法がすごいという話をよく聞きますよね。もちろん、それはそれで素晴らしいとは思います。でも、それと同じくらい重要なのはデザインでしょ?っていう。韓国の製品は生地の品質はそこまで高くないけど、デザインがかっこいい。中国や台湾も勢いがある中で、日本だけ止まっているような感じがしてなりません。

二次流通について思うことはありますか?

切磋琢磨じゃないですが、お互いに刺激を与えることで活気に繋がっていることは良いことじゃないですか。競争相手やライバルってつねに必要だと思っています。先ほどのファッションの話に戻りますが、今の日本のファッション業界には、その競争相手が足りないのかなと思います。なんか、みんな仲良しじゃないですか。高校生の頃、お店に行くのが怖かったんです。どのお店も客を客だと思ってなかったと言いますか。でも改めて考えると、それはそれで一つの手段だったんじゃないかなって思います。もちろん、仲良しであることは悪いことではないんですけど。仕事をしていると「ちょっとゆるくないすか!?」と感じることがあります。

それだけ仕事が殺到すると。他のスタイリストから妬まれませんか?

結構言われますね「ずるい」って。でも、例えばあいみょんのスタイリングでいうと、あれを肩の力を入れてやっているかと言われたら、違うじゃないですか。あれはあれで超ぬけ感が大事と言いますか。あれを見て「適当に古着だけ着せて、楽な仕事だよね」とか「音楽番組なのに衣装代かかってないね」とか、そういう話はどうしても出ますよ。でも俺から言わせてもらえば、このタイミングで、これを着せることに意味があるということでなんです。仕事のオファーがもらえるには絶対に理由があるから、そこは勘違いしないで欲しいとつねに思っています。でもまあ勘違いされたり、叩かれることは慣れているので全然余裕ですけど。

今後のやりたいことはどんなことですか?

目標などは特にありません。ただ、やりたいことをやるには、まだまだ時間と認知度と資金が足りない。今はその途中、ずっと仕込み中です。制作会社を作ったのも、ロケバス会社作ったのも仕込みの途中。

制作会社やロケバスなど、従来のスタイリスト像とはかなり異なる業務を手掛けていますが、企業の社長として仕事をする際に心がけていることはありますか?

「今これが絶対に必要だ」と思ったときには、必ず行動に移すこと。まずは口外せずにとにかく動き回って、実現できるとわかったタイミングで口外することです。実際に行動することと、やりたいことをちゃんと口に出すことって、超大事なんです。ただ突拍子もないことを言うと、大抵のやつは鼻で笑います。でも自分からすれば「はいはい、そうですよね(いつかみてろよ)」って感じ。制作会社とバス会社を作ったときもそうでした。

最後の質問です。あなたにとってHYPEなもの(こと)とは?

「人間力」。人を巻き込む力、生きる力、色んな力だと思いますが、それが垣間見える人が一番かっこいいと思っていますし、自分もそういう人間でありたい。今自分に仕事が来ているのは、これがあるからだと思っています。正直、スタイリング力ってそれぞれ大差ないと思うんです。オファーをしてくれる人は、スタイリング以外でも、自分に期待してくれているというか、それ込みで仕事をくれていると思うんです。だから、そういった部分はこれからも大事にしていきたいです。

服部昌孝

はっとりまさたか 1985年生まれ。静岡県出身。2012年にスタイリストとして独立。あいみょんやAwich、RADWIMPS、米津玄師ら人気アーティストたちのスタイリングを手掛ける。2020年に制作会社「服部プロ」を設立し、翌年にはロケバス会社である「栄光丸」を設立。さらに今年の秋冬には、自身が初めてディレクションを手がけるブランド〈SHIDEN/紫電〉がスタート。

Instagram:@masataka_hattori