THE SNKR #07 atmos 本明秀文のインタビュー写真1

THE SNKR
#07 本明 秀文

今後スニーカーブームは日本からアジアへ
新しくてバカなことを真面目に考えていきたい

お気に入りのスニーカーをベースにゲストとスニーカーの関係性を紐解く、スニーカーダンクの連載「THE SNKR」。2021年第1弾となる今回は人気スニーカーショップ『atmos』の本明秀文社長が登場。
年商170億円、今や世界にその名を轟かせるカリスマスニーカーショップのトップに、自身の生い立ちからスニーカー論、さらには今後のマーケットの展望に至るまで、幅広く聞いた

Photography: Tsukuru Asada
Interview & text: Kei Osawa

なぜ最初にスニーカーを売ろうと思ったのですか?

別に何屋さんでもよかったんです。僕は商社で2年ちょっと働いたのですが、会社勤めが苦手で辞めました。それから一時期、フリーマーケットで生計を立てていました。代々木公園や明治公園で、毎週のようにスニーカーやアパレル、時計など、当時人気があったものを色々売っていました。出店するたびに100万円以上は稼いでいましたね。
その後1996年から本格的にスニーカーの販売を始めたのですが、それが『CHAPTER』という並行輸入のお店でした。年に8回程度、アメリカに1週間から10日くらい滞在し、スニーカーを買いつけては日本に送り、店舗で売っていました。当時こういった販売方法をしている古着屋さんやセレクトショップもありましたが、スニーカー業界では誰もやっていなかったんです。
僕自身、昔から靴についてそこまで詳しくはありませんでしたが、ここまで来れたのは商売のセンスが良かったのだと思います(笑)。あとは優秀なバイヤーに恵まれたこと、そして嫁のおかげというのもあります。彼女はすごく靴が好きで、当時からアメリカへ買い付けに行った時に、買うか買わないかは嫁がジャッジしていました。僕なんて余計な物を買って怒られていましたから(笑)。

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スニーカー以外も売っていたのは意外でした。

僕は昔から”物フェチ”なんです。フリマをやっていた時は、古着やブーツ、アクセサリーなど何でも売っていました。今でも〈Levi’s 501 66 / リーバイス 501 66〉のデッドストックや〈LEVI’S 501 XX / リーバイス 501 XX〉のワンウォッシュの黄金サイズなども持っていますし。当時は〈ROLEX / ロレックス〉も売れると思えば買い付けていました。
デニムや時計など、そうやって売ってきたものの残骸は今でもあって、20年くらい前の〈ROLEX / ロレックス〉は、新品でまだ2、3本は持っています。僕は”これを持っておけば確実に売れる”みたいな、モノに換えるのが得意なのだと思います。でもこの感覚って、ある程度”物フェチ”じゃないとうまくいかないと思います。
最近のスニーカーブームを見ていて思うのは、ブームが去るとみんな辞めちゃうじゃないですか。今のスニーカーの価値は仮想通貨のようになって、日本だけでなく海外のコレクターも最近になってみんなスニーカーを手放し始めています。
ただ僕は、このブームは続くと思うんです。その理由は購入層の6割くらいが中国人であるということ。コロナ渦でも日本にいる中国人がたくさんいて、彼らがキャッシュで買い、本国へ送るんです。中国やシンガポール、インドネシアの方がリセールバリューが高くなっています。アジアの人間がこれから参入してきてどこまで続くか、世界で見るとスニーカーマーケットは、まだ伸びしろはあると思うんですけど、日本だけで見ると少子高齢化ですし、アタマ打ちかなと思っています。

長年に渡り、業界のトップを走り続けている秘訣は何だと思いますか?

売ることを止めなかったことですね。スニーカーは今でこそ大ブームと言われていますが、良い時もあれば悪い時もあって、特に7年くらい前は全然売れませんでした。〈NIKE / ナイキ〉も売れず、どうなることかと思っていました。僕がみんなと違うのは、ずっと続けていたということでしょうか。
例えば〈NIKE AIR MAX 95 / ナイキ エアマックス95〉も、たぶん日本で一番最後まで売っていたと思います。あとはトレンドもしっかり追いかけていて〈CLARKS / クラークス〉が売れれば売ったし、〈REDWING / レッド・ウィング〉が売れれば売っていました。スニーカーに限らず何でも売っていたというのが生き残りの要因の一つだと思います。

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色々見てきた中で思い出に残っているスニーカーはありますか?

好きなスニーカーは昔の〈NIKE AIR FORCE 1 / ナイキ エアフォース 1〉ですね。本当にお金がなかった時、作業用の靴として履いていました。頑丈で履きやすかったんです。
当時は1982年製のオリジナルの〈NIKE AIR FORCE1 / ナイキ エアフォース1〉が、何足でも出てきたんですよ。しかも古かったので、5ドルとかで買えていたんです。買い付けに行く時、倉庫に行ったりするので。汚くなったら捨てて、またすぐに新しいものに履き替えていました。

スニダン(SNKRDUNK)は二次流通ですが、そこに対する思いはありますか?

二次流通があるから僕らがあると思います。その数字を見ながら売れる、売れないという判断材料としていますから。あと二次流通がないと、スニーカー業界もここまで盛り上がってないのではないでしょうか。今後は、一次流通も二次流通も無くなると思います。
例えば、二次流通の人がブランドに別注をかけてスニーカーを発売するとか、そうなっていかないとスニーカー市場は広がらないと思います。今などは特に〈NIKE DUNK / ナイキ ダンク〉が売れていて、そして〈NIKE AIR FORCE1 / ナイキ エアフォース1〉、〈NIKE AIR JORDAN / ナイキエアジョーダン〉も売れています。これだけ〈NIKE / ナイキ〉の一人勝ちになってしまうと、履く人が飽きちゃうと思うんです。
先日、「〈KIM JONES × NIKE AIR MAX 95 / キム・ジョーンズ×ナイキ エアマックス95〉は、あまりかっこ良くない」とTwitterで呟いたら、すごく叩かれたのですが(笑)、スニーカー自体の本質は抜きにして、名前で売れちゃうところってあるじゃないですか。ファッションブランドはみんなそうだとは思いますし、好きとか嫌いという感情は個人的なものなので、なんとも言えないですが。ただ、この仕事を20何年くらいやっていると、どのモデルが売れるとかって、大体わかります。
うちの会社のスタッフみんな100足、200足は当たり前のようにスニーカーを持っています。過去にスニダンさんでもお世話になったうちの小島(小島奉文=atmosのクリエイティブディレクター)なんて1,000足とかですから。そういう人間が集まって話し合いがあるから、アタリハズレがないんですよ。売れるスニーカーが分かるというのは、僕らの感性と勘、そして経験によるものです。そういう売れるスニーカーを入荷して、それをスニダンさんで扱ってもらって、また人気が出て…。この業界は相乗効果で成り立っているのだと思います。
個人的には近い将来、ハイブランドのリセールをやりたいと思っていますね。その時はスニダンさんと、何かご一緒できたらいいですね。

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今はインターネットなどもありますけど、人と会って情報を得る方が多いですか?

そうですね。僕、事務所に自分の席がないんですよ。プラプラしていないと何が良い悪いという情報が入ってこないじゃないですか。
例えば、人と話をするときに、先ほど〈ROLEX / ロレックス〉の話をしましたが、海外で活躍している人は大抵〈PATEK PHILIPPE / パテックフィリップ〉をつけているんです。そういうことって、人と会ったり外に出てリアルな場所に行かないと分からないと思うので、僕は人と会って教えてもらうのが一番早いと思っています。
あとは、ファッションとは関係のない本などからヒントを得ることもあります。例えば。アニマル柄の〈NIKE AIR MAX 95 / ナイキ エアマックス95〉を作った時などは、村上春樹翻訳のジョン・アーヴィングの『熊を放つ』という小説があるんですけど、その話を読んでいたことが影響して、あの〈NIKE AIR MAX 95 / ナイキ エアマックス95〉には色々な動物の柄が混ざっているんです。
また、ダルメシアン柄のモデルは、たまたま原宿を歩いていた時に、知らないおっちゃんがダルメシアンを散歩させていたんですよね。そしたら、それを見た小さな女の子が「あの犬可愛い!欲しい!」って言っていたのを見て、デザインに落とし込んだり。そういう日常の中から生まれるアイデアのスニーカーが売れるんです。

ご自身の仕事の原動力となっているものは何ですか?

他人と喋ることですね。この仕事は、誰かと話すのが面白いからやっています。結局、誰がお金を持ってくるのかと言ったら、自分で作っているわけではなく、他人が持ってくるんです。この商売ってコウノトリみたいなもの。他人と会うのが楽しいので続けている感じです。食うのに困るからやっているというよりも、面白いから、ということが原動力になっています。
僕は人生の中で、何人かの人に可愛がられたんですけど、その彼らが共通して言ってくれるのは、誰とでも話をしなさいということ。誰とでも話せる人間にならないと一流じゃないよ、と。この言葉は常に心のどこかにあります。

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今後のスニーカー業界、そして『atmos』はどうなっていくと思いますか?

スニーカー市場はアジアを中心にこれからも伸びていくと思います。特にインドネシアですね。人口でいうと首都のジャカルタなどは、これからかなり売れると思います。会社としては、面白いことをやりたいとは思っています。具体的には先ほども話したように、ハイブランドの靴のセレクトは、いずれやりたいなと思っています。
あとはスニダンさんとコラボをしたりとか、とにかく新しくてバカなことを真面目に考えていきたいと思っています。

本明 秀文 / テクストトレーディングカンパニー代表

1969年生まれ。 アメリカの大学を卒業後、商社勤務を経て、1996年に原宿のジャンクヤードにスニーカーショップ『CHAPTER」をオープン。 1997年、「テクストトレーディングカンパニー」設立。2000年に『atmos』を初出店。現在は国内外で出店しており、世界的に影響力のあるスニーカーショップとして知られている。

Twitter:@Shoelife2012
atmos:https://www.atmos-tokyo.com/