ナイキ へのアセンシオさんの投稿

1日前

ナイキが価格を上げるという。2ドルから10ドル。
些細な額に見えるかもしれないが、スニーカーは数字ではない。そこに宿るのは夢であり、憧れであり、汗とアスファルトの記憶だ。
その夢に「価格改定」という名の手が伸びるとき、私たちはただ財布を開くだけでなく、問うのだ――これは本当に“正しい値段”なのか、と。

ナイキはこう言う。「季節ごとの計画の一環」と。
たしかに、原材料費、物流、人件費、企業の持続可能性。あらゆる要素が価格に反映されるのは当然だろう。
だが、ナイキほどの存在が値段を上げるとき、それは単なるコストの調整ではない。
世界中のストリートとスラム、球場と教室、そして夢見る若者たちの「選択肢」を一つ減らすということでもある。

とはいえ、だからといって筆を折る気はない。
むしろ、こういうときこそ書かねばならないのだ。
私たちはナイキにただ「安さ」を求めているわけではない。魂がこもった一足を、正当に手にできる世界を求めている。その中心にナイキがいてほしいから、私は今日も書く。値上げされても、Air Maxのソールにはまだ空気が詰まっているし、Jordan 1には自由が宿っている。
ナイキは、多少高くなったくらいで終わるような物語じゃない。

結局のところ、私はナイキが好きだ。
悔しいけれど好きだ。だから願う。
価格が上がっても、そのぶん価値を上げてくれ。
そうすれば、こちらもただの消費者じゃなく、「信じて履く者」として、また一歩、ナイキと共に歩いていける。

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