永戸鉄也氏が考える「かっこいい街」と「服のおもしろさ」 大人も子供も風俗ホスト映画文学も混在する、新宿という街のカオスな"深み"

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永戸鉄也氏が考える「かっこいい街」と「服のおもしろさ」 大人も子供も風俗ホスト映画文学も混在する、新宿という街のカオスな"深み" について

厳選した国内外の公式ブランドアイテムや、エクスクルーシブアイテムをDROPするセレクトショップ「HYPE DROP」。なんと今回、米津玄師やRADWIMPSをはじめとする著名ミュージシャンのMVやアートワークに加え、「UNDERCOVER」「Levi's」といったファッションブランドのビジュアルなども手がけるアートディレクター永戸鉄也氏とのコラボが決定した。そこで本記事では、同氏にこれまでの経歴や自身のブランドについて詳しく伺った。

HYPE DROPをチェックする

今回インタビューした人

アートディレクター

永戸鉄也さん

1970年東京生まれ。広告、パッケージデザイン、ミュージックビデオ、ドキュメンタリー映像、展覧会キュレーションなど。音楽、ファッション、アート、の領域でディレクションを行う。

「美術の学校には行かない」という決意と、継いだ亡き叔父の遺志

―まずはじめに、アートディレクターである永戸さんのご経歴について伺いたいです。高校卒業と同時に渡米されますが、それにはどういった目的があったんでしょうか?

永戸:「アメリカに行きたいな」って思いは中学生くらいのころから持っていたんです。高校では勉強してなかったんで、進路が決まってない状態で「何をしようかな」と思いながら卒業式を迎えたんですけど、まさに式の当日に友達が留学するらしいって話を聞きまして。それで「留学って選択肢もあるんだ」と知り、調べて親に頼み込んで留学した感じです。当時はバブルでみんなお金を持っていたから(笑)。

―なるほど(笑)。

永戸:本当はニューヨークに行きたかったんですけど、学費があまりに高かった。だから代わりに、リーズナブルだったフロリダのタンパに行きました。

―それはつまり、アメリカだったらどこでも良かった?

永戸:そうです。渡米した目的が「Grateful Dead(グレイトフル・デッド)」という伝説的なバンドを観るため。彼らは自分たちを慕う「デッドヘッズ」と呼ばれる何千人のヒッピーたちを連れ歩いて、一個のコミュニティのような感じでアメリカ中をツアーしていたんです。そこではライブを録音して売ってももいい、勝手にグッズを作ってもいい。すべてがフリーなバンドなんです。

―すごいですね、それは。

永戸:そのバンドのライブが観たかったのが1つ。あとは高校のとき、下北沢にあった「VIOLENT GRIND(バイオレントグラインド)」というスケートボードのショップに入り浸ってたんです。そのお店で、当時は「スケートロック」って呼ばれてたパンクとかハードコア、ダブとかのアンダーグランドな音楽をみんなで聴いてて。80年代の終わりなんで「第二期スケートボードブーム」みたいな。そんな時期にスケートボードをやっていたんで、本場のスケートボードを体感してみたかったことも(渡米の理由に)ありました。

―その2つが渡米の目的・理由だったんですね。

永戸:本当の理由は隠して「留学したい」って言ってさせてもらったはいいけど、まぁ勉強なんかせず(笑)。

―(笑)。

永戸:だからバンドのライブ観たり、絵を描いたり。あとは現地の友達と物を作ったり音楽やったりしてました。

―アメリカでデザインの勉強もされたんですか?

永戸:いや、そういう発想はなくて。子どものころの段階で「美術の学校には行かない」って決めてたんです。プロダクトデザインとかアート、宗教が好きな叔父が居たんですけど、若くして亡くなっちゃったんですよね。それがきっかけで「その人の遺志を継ごう」みたいな気持ちが、小さいながらにあって。「自分は学校で学ぶという道では無く、遠回りして誰も行かない道で自分で学んでいこう」と漠然とイメージし始めたんです。

―そうなんですね。

永戸:興味のあることや憧れているものの本場に入っていった方が、本質が分かる気がした。だから「職業的にデザインの道に進もう」みたいな考えはなくて「美術か音楽関連の何かをやっていけたら」ぐらいの感じで。好きなものの中に飛び込みたい欲求の方が強かったから、体感していく感じで、教わることはぜんぜん考えてなかったです。

―そんななかで渡米されたフロリダでは、お仕事とかってされてたんですか?

永戸:いや、してなかったです。だから結局、アメリカでも学校に行かないし、だんだんと後ろめたくなってきて。1年くらいで日本に帰るんですよね。その後、お金を貯めて今度はニューヨークのブルックリンに居る友達のところに転がり込んで、二年くらいアルバイトしながら過ごしてた感じです。

―そこからどういったタイミングで再び日本に帰国されるんですか?

永戸:あるきっかけで「これ、なんか違うな…」って思うことがあって。それで日本に帰って「いままでの自由な生活とは真逆の、スーツ着て仕事するサラリーマンやりたい」ってなったんです。それで面接とか受けたけどぜんぜんダメで。そこから遺跡の発掘を始めるんですよね。

―遺跡の…発掘…?

永戸:それは東大の遺跡発掘のチームについて働くっていうアルバイトだったんです。週3回ちゃんと働けば、あとの日にちは「働く・休む」をその日の朝に決めてOKっていう、ゆるいバイトで。それを結局、5年くらい続けてたかな。

―またそれはすごい経験ですね…。

永戸:いろんな年代の住居とか江戸のお墓とか掘ったり(笑)。

―おいくつくらいまで続けられたんですか?

永戸:30代の前半くらいまでやってました。それをやりながらバンドやったり、絵を描いたりしていて、発掘自体も好きでした。掘ったら縄文土器とか黒曜石の矢尻とかが出てきたりするんですよね。

新しいバイトが決まった日、ある歌手からかかってきた一本の電話

―その時点で描いてらっしゃった絵はまだ「趣味」の段階で「お仕事」ではないんですか?

永戸:その時はまだ「自分を売り込む」みたいな発想がなくて。その時期に知り合ったカメラマンの人に「どうやって仕事につなげるの?」って聞いたら「ブックを作って売り込めばいいんだよ」って教えてくれたんです。

―おぉ!なるほど。

永戸:その時期に司法試験の塾でポスターなどを作る、デザイン補佐のバイトを始めたんです。そこで初めてWindowsを触るようになったことで「パソコン好きかも」って思い始めて。家賃3万円の風呂なしアパートに借金して80万円のMacを買って、初期の「Photoshop」「Illustrator」とかを本を読んで勉強して、デジタル作品を作り始ました。そこからポートフォリオを作って。当時はインターネットが普及してなかったから、いろんな出版社やレコード会社、アパレルブランドなどに電話をかけまくって自分の絵やデザインを見せ始めました。

―じゃあ、もしそのカメラマンさんに出会わなければ、いまのようにならなかったかもしれないですね。

永戸:また違う仕事をしてたかもしれないですね。「自分を売り込む」って発想がなかったですからね。

―それで営業をかけるようになって、いろんな出版社やレコード会社の方がどんどん興味を持ってくれて仕事につながって…?

永戸:レコード会社に売り込んでいった結果、だんだんとメジャーなアーティストを担当するようになったんだけど、まだ仕事として回りきらなくて。ちょうど1人目の子どもが生まれたくらいの頃に「来るか来ないかわからないような仕事」を待つんじゃなく、定職に就いてほしいという雰囲気になり。司法試験の塾はすでに辞めてたから、またどこかでバイトする生活に戻るかと思ってたんですよね。

―なるほど。

永戸:それで新しいバイトの面接を受けて、採用の結果が出たまさに当日。前にCDジャケットの仕事をやっていた、歌手のUA(ウーア)から「来月にツアーに出るから、そこのAD(アート・ディレクター)やってくれない?」って電話がかかってきて。

―ご本人から?

永戸:そうです。だから新しく決まったバイトをその日に断って(笑)。UAのツアーに同行したことがきっかけで、仕事が回り始めたんです。

―そのツアーがきっかけだったんですね。

永戸:UAのツアーを回ってる間に、少し前に亡くなってしまった「BUCK-TICK(バクチク)」の櫻井(敦司)さんのソロプロジェクトの仕事も決まって。アルバムとシングル、ツアーグッズやステージデザインを全部やらせてもらうことができて、音楽周辺での仕事が増えてきたという流れです。

―それまではUAさんほどビッグネームではないにせよ、メジャーなアーティストのお仕事もされていたんですか?

永戸:いや、有名なアーティストもやってたんですよ。例えばミスチルとかね。でも回っていかないというか、次の仕事に繋がらなかった。その間に個展もやってみたりするんだけど、うまくいかず。そんな時期があったんだけど、UAがきっかけでしたね。

―そこから「RADWIMPS(ラッドウインプス)」や米津玄師さんとのお仕事にも繋がっていくわけですね。




永戸:そうですね。でもメジャーアーティストだけでなく、即興系のミュージシャンとも仕事したりもしてるんです。だから「メジャーとアンダーグランドを同時並行する」みたいな感じでずっとやっています。

ブランド立ち上げのカギとなった"変態的な"ニットの生産技術

―ではここから、ブランド「DUSTNATION(ダストネーション)」について伺っていきます。過去にアディダスともコラボレーションしているデザイナーの倉石一樹さんと立ち上げられたブランドですが、出会いはどんなきっかけだったんですか?

永戸:出会いは『PRODISM(プロディズム)』の編集長・渡邊敦男くんの紹介です。僕は10数年前に「UNDERCOVER(アンダーカバー)」のジョニオさんと仲良くなったことがきっかけで、『PRODISM』で「UNDERCOVER」特集する時のビジュアルをよく作っていた流れから、編集長が「2人は合うだろう」と繋げてくれた感じです。そのとき倉石くんが、アジアで「 THE NORTH FACE x Kazuki Kuraishi 」を始めたころでした、そのラインのビジュアルディレクションをお願いされたことが始まりですね。

―なるほど。

永戸:その後、倉石くんが「ニット用のデータを変態的に上手く作れる」って人と交流があって(笑)。「その人の技術で永戸さんのグラフィックをそのまんまニットに落とせるんで、一緒になにかやりませんか?」と誘ってくれたんです。

―それは倉石さんから直接?

永戸:そうです。自分はウールってチクチクしてて着られないんですよ。素材はコットンが好きなので「コットンニットをメインにできる」という話も、ブランド立ち上げの1つのきっかけですね。

―それが2021年の出来事で、本格始動が2024SSシーズンからですよね?

永戸:そうです。ただ、本格始動って言うのかな…?「やれるときにやっていこう」と始めたのですが、今回は一緒に組むチームができて「ニット以外のものも作ろう」という感じでアイテムの幅を広げました。

―そんな「DUSTNATION」ですが、どんなブランドなんでしょうか?さきほどのお話では「コットンニット」が1つのキーワードのようでしたが、それ以外のアイテムも「やってみよう!」となったんですよね?

永戸:そうですね。カットソーなんかも、いってみれば"ニットの一部"であろうという解釈で。僕はこのブランドとは別に「genzai(ゲンザイ)」のデザインに関わっていて、初期は細かく洋服のデザインしていたんですが、ブランドの方向性をよりロゴやグラフィックメインの作り方に修正しながら進んできていて。だから「服のもっと細かなデザインもしたいな」って思いもあって、それを「DUSTNATION」では実現できるなと。自分が大まかな絵型を描いて、倉石くんが(洋服としての)細かなところを詰めて落とし込んでくれる。そんな流れで進めています。

―そういった役割分担なんですね。

永戸:そうです。

―ブランドとして掲げてらっしゃる"壊れた世界とポジティブに対峙するための戦闘服"というコンセプトですが、これは別のインタビューで「みんなが言葉としてのコンセプトを欲するから付けただけです」とお話されていたのが印象的でした。

永戸:まさにそうで。特にコンセプトとかってないので、無理やり付けたんです。

―シーズンごとのテーマも設けてらっしゃらないと伺いました。

永戸:そう。「いま、この時期に気になってる・見せたいグラフィックをどうアイテムに落とし込むか?」というのと、それにまつわる服の形とかその時のトレンドとかもあるだろうけど、自分が作ってみたい・着てみたいとか。誰かに着てほしいとか。そういったものを作っていく。それ以外はないだろうなと。

―「D」と「蜂」を組み合わせたロゴが印象的ですよね。

永戸:「蜂」は倉石くんが影響を受けてきた、マンチェスターのシンボルから。ブランド名「DUSTNATION」は僕が作った造語なんですが、それは自分が影響を受けたアメリカの退廃したカルチャーの語感をベースに作ってて。その頭文字「D」を蜂を組み合わせたのが、このロゴです。

―マンチェスターとアメリカの合体ということは、イギリスとアメリカの合体みたいな感じでユニークですね(笑)。

永戸:そうです(笑)。それが僕と倉石くんがで組み合わさってるマークですね。

コラボの決め手は、HYPE DROPが原宿・渋谷ではなく「新宿のショップだった」こと

―そんな「DUSTNATION」と、こちらの「HYPE DROP」のコラボが実現しました。新宿店にいらっしゃった印象を伺えますか?

永戸:「いまっぽい」よね(笑)。あと、僕の中で「(コラボを)やりたい」って思えた一番大きな理由は「新宿の店舗である」ってことなんですよ。

―じゃあもし「HYPE DROP」が原宿とか渋谷のショップだったら…?

永戸:そんなに興味を持たなかったかもしれません。僕、街としては新宿が一番好きなんです。生まれが荻窪なんで、中央線とか総武線で一番出てくる場所だったし。あと新宿って、いろんな人が混じってる場所じゃないですか。ホスト街や風俗街のある歌舞伎町もあるし、飲み屋もあるし神社もある。映画館も文壇バーみたいなのもある。でも伊勢丹もある。その「混じってる」感じ。そこでやれるのが面白いなって思ったのが、コラボのきっかけですね。

―そんなコラボで生まれたエクスクルーシブアイテムがそちらのカットソーですが、バックプリントとフロントの刺繍が効いてますね。

永戸:気軽に着てもらいたいアイテムなんですけど「すべての武器を溶かす」という意味の言葉も入れてます。これは"反戦"よりも、少し強めのメッセージかな。

―バックプリントはなにかの建物ですか?

永戸:これはドイツのコンサートホールですね。まぁこれ自体に意味はないんだけど(笑)。1940年代の建物だったかな?当時の印刷物を持ってたんで、そこからスキャンして加工しました。

―へぇ!

永戸:「DUSTNATION」で展示会をやったときに、このシリーズのTシャツ2型を作ってて。それは「ダム」と「トラクター」だったんですけど。それの「コンサートホール」バージョンをエクスクルーシブに持ってきました。

―それは「バックプリントTシャツ」のシリーズなんですか?

永戸:いや、というよりも「ロゴ&インパクトのあるプリント」のシリーズかな。「DUSTNATION」で展開してるのはフロントプリントだけど、今回のエクスクルーシブは着やすさも重視してバックプリントにしました。

―どのカラーがお気に入りですか?

永戸:僕はブルーが好きです。バックプリントの黄色と"馴染んでない感じ"が逆にいい。

「DUSTNATION DUSTBEE Exclusive GRAPHIC TEE "BLUE"」

―おすすめの着こなしも教えてほしいです。

永戸:グランジっぽい感じとかいいよね。首元をダラダラに伸ばしてもらってロックっぽい感じで着るとかね。クラッシュのデニムとかボロボロのフーディと合わせるとか。サイズ感はちょっと肩落ちてるくらいで、あえて自分で穴開けてもらってもいいかも。

―生地感にも少し古着っぽい雰囲気がありますよね。

永戸:そうそう。これは後染めのボディを使ってるから、あえて古着っぽくしてます。「HYPE DROP」でセレクトしてるアイテムとも合いそうですね。

永戸氏が考える「かっこいい街」と「服のおもしろさ」

―そしてPOP-UPの際には、そちらのアート作品も展示されるんですよね?

永戸:絵自体は全部で8点あるんだけど。今回はアパレルのお店に飾るということで、自分でも初めての試みとして「S・M・L・XL」っていう感じで、洋服みたいに作品のサイズを購入者が自分で選べるようにしました。例えば「この絵で、サイズはXLでお願いします」みたいな感じ。

―「この絵が気に入ったけど、XLだと大きすぎて家のここに飾れないからMサイズで」みたいなイメージですね。

永戸:そうです。あとはこの店の雰囲気に合わせて、光沢のあるブラックとアルミ版の組み合わせが合うなと思って。

―そちらは手法としては?

永戸:これはインクジェットプリントですね。積層させてインクを盛り上げる技術があって、それで立体っぽくなってるんです。今回のすべての作品ではないんですが、半立体に向いてるグラフィック4点はその手法を使っています。

―いまお持ちの作品が「Mサイズ」ということですが、「XL」ってかなり大きいですよね?

永戸:1700mmくらいあるので、ちょっと大きいですね。そのサイズだけはプリントじゃなく、LEDのバックライト仕様なので特別です(笑)。

―作品はすべて受注生産ですか?

永戸:そうですね。

―アートを洋服みたいにサイズで選べるって、めちゃくちゃユニークですね。

永戸:ギャラリーで展示する時、プリント作品の場合は通常「エディション」を付けるんです。「この作品はこのサイズで◯点しか刷らない」という、価値を担保するための数量です。でも今回は洋服と同じ感じでカジュアルでいいんじゃないかなと思い、サイズ展開にしました。

―POP-UPのイメージはもう固まってるんですか?

永戸:今回のテーマが「1940年代アメリカの初のコンピューター:ENIAC」なんです。そのグラフィックを大判出力して貼り込んでいこうかなと。作品自体はデジタルなので、店の飾り付けは手作業でコラージュしていこうと考えています。

―「こんな人に来てほしい」みたいな要望があれば伺いたいです。

永戸:いままで会ったことのない人に来てほしいですね。もちろん「HYPE DROP」のお客さんにも来てほしいけど、いわゆる"原宿・渋谷・中目黒に居る人"にも新宿に来てほしい。ここにはおもしろい服もあるし「新宿だから、自分が(コラボを)やるんだよ」っていうか。新宿の方がいろんな人が混じってて、僕はおしゃれだと思うんです。ある一定の層が同じような流行の中で動いてる街より、おじさんもおばさんも子供もチンピラも居るみたいなカオスな方が、人がいろんな着こなしで服を着てるワケじゃないですか。そういうのが服のおもしろさだと思うんです。そういう街にこういうセレクトショップがあるってことに意味を捉えてほしい。

―なるほど。

永戸:だからいろんな人に来てほしい。もちろん、ストリートファッションが好きな人に"路上の街・新宿"に来てもらって。夜の新宿で遊んでいってもらうのがいいんじゃないかな?

―「HYPE DROP」を楽しんだあと、新宿という街も楽しんでほしい。それはご自身が新宿を好きだから?

永戸:そうそう。それが、僕が考える「かっこいい街」なんです。カルチャーって、いろんな層が出してる文化が混じった総体。それを個々でどう捉えていくか(が大切)。そうしていかないと、一辺倒に「その都度、誰かに提案されたものがカルチャー」みたいな理解しかできなくなっちゃう。そうじゃなくて、もっと自身で見つけていく必要がある。そういう意味で、新宿は"深み"があるんじゃないかなって。

「勝手に別のイメージ同士が合体していく」という、マグネット的世界観

―では最後に今後の活動について伺えますか?

永戸:はい、3月に中目黒で個展を控えています。今回の展示はデジタルがメインだったのに対して、次は手作業・アナログ作品がメインでインスタレーションともとれる作品を広い空間で展示します。

―ではこの記事を読んでくれた人は、ぜひそちらにも足を運んでほしいですね。

永戸:じつはテーマも連動していて。今回は「初期のコンピューター」。3月の個展は「天然磁力」がテーマなんです。どう連動してるかというと、初期のコンピューターってデータを定着させるために磁力が必要だったんです。だから「HYPE DROP」でコンピューターをやって、その根源となってくる天然磁力をテーマに個展をやる。

―それって偶然なんですか?

永戸:去年から、作品を作るうえでの自分の活動に磁石とか磁力ってものがあるなって考え始めたんです。コラージュとは、いろんな情報が載ってる紙をちぎって貼り合わせることでまた違うものが見えてくるという世界なんですね。自分としては手を動かすと「勝手に別のイメージ同士が合体していく」という感覚なんです。いろんな紙をあつめて、切り刻み、貼り合わせる。それってマグネット的だなと。自分に集まる情報と、自分が処理するもので、また違う情報になる。それが磁力のイメージだなと。それをどうにか形にしたいって思いがあって。それで2つのテーマ「初期のコンピューター」と「磁力」を串刺しに作品制作しています。

―じゃあやっぱり、両方に足を運ぶことでより深く理解できそうですね。

永戸:洋服が好きでその仕事をしてることと、作品制作を続けること。その両方が自分を形作ってるんです。だから「HYPE DROP」だとサイズ別になってるようなカジュアルなデジタルアートがあって。3月の個展だとさらに作品の変態性を見てもらえるんじゃないかな(笑)。だから両方見てもらったら「あ、こういうヤツなんだ!」ってわかってもらえると思います。

POP-UPの詳細

日時:2024年2月3日(11:00)〜9日(20:00)
場所:HYPE DROP新宿店/〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町1丁目1−17 エキニア新宿1階
電話番号:03-6233-8280
営業時間:11:00〜20:00

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